パラリンピアンは一人ひとりが過酷な“リアル”を乗り越えているーー井上雄彦『リアル』が描く、真の強さ

井上雄彦『リアル』が描く“真の強さ”

 この作品で作者が描きたかったのは単に車椅子バスケという世界ではなく、思い通りにいかない自分の人生、それはときにものすごく厳しい現実となって己を蝕んでいくが、そんな現実に対してどうやって乗り越え、打ち勝っていくかという、己の心の強さ、清濁全てを受け入れるキャパシティ、前向きにチャレンジしていくマインドをどのようにして養い、育んでいくべきかということなのだと思う。

 人に見られたくない部分、見せたくない部分、他者と比べたときの妬みや嫉み、認めたくない自分の心の暗部。障害を持つことで自然と増えてしまうであろうネガティブな気持ちとどう向き合って、消化して、前を向いて生きていけるか。そのためには触れられたくないネガティブな部分を殻に閉じ込めて大事にプロテクトしていてはいけないし、どのようにその殻を打ち破っていけるかが大事なのではないだろうか?

 そういう意味でいうと、プロレスラーというのは単にリング上での勝ち負けだけで生きているわけではない。リング上で表現すべきはプロレスラーとしての、人間としての強さ=器の大きさである。相手の技をすべて受け切るには、それに耐えうる肉体を作るための鍛錬と、技を受けるという”覚悟”が必要である。そして技を全て受け切った上で、己の感情を、ポジティブなものもネガティブなものも技に載せて表現する。そしてプロレスラーはただリング上の相手とだけ戦っていても一流とはいえない。常に観客を意識して、その一挙手一投足、ひと言で観客の感情をときにはヒートさせ、ときには感動させ、喜怒哀楽の感情を揺さぶりまくれないといけない。他人の感情を揺さぶるためには自分の持っているものは包み隠さず全て曝け出す必要がある。そうしながらも一方ではありとあらゆる理不尽を受け入れ、呑み込まなくてはいけない。受け入れ飲み込む量、曝け出す量、覚悟の量、肉体的鍛錬の量、全てが常人を超越している、ある意味プロレスラーというのは全ての意味で過剰すぎる人生の縮図そのものであり、それらを受け入れることに成功している人間であると言えよう。プロレスラーを通して、彼らの持つ真の強さというものを読者に、そして高橋に、作者は伝えたかったのではないだろうか?

 ちょうど今、この原稿を書いている現在進行形で東京オリンピック、パラリンピックの開催に若干不透明な状況が生じてきている。状況が好転して、無事開催されることを信じて筆を進めていくが、パラリンピックを観戦する際は、まず競技に参加するパラリンピアンたちは、一人ひとりそれぞれが上記のように様々な”リアル”に直面し、それを受け入れ、呑み込み、乗り越えて今我々の目の前に立っているという事実を胸に刻み込んで、彼らの”リアル”を受け止めてほしいと思う。NTTドコモが”STYLE'20”と称して東京パラリンピックに向けてパラリンピアンを取り上げたCMをここ数年OAしているが、そのCMに登場する、イタリアの女子車いすフェンシングの選手、”ベベ”ことベアトリーチェ・ヴィオがCMで発する言葉が、筆者の胸に突き刺さって離れない。

 自らを”利き手のないフェンサー”と称するべべは、11歳のときに病魔に蝕まれ、両手足を失う。顔にもケロイドが残り、義手義足で生活する姿は見ている側からすると痛々しさを感じずにはいられない。しかし彼女は屈託のない笑顔をでこう話すのだ。「ハイヒールだって履けるし、走るためには別の義足があるし、いつかは空を飛ぶ義足もできるかも。最高でしょ?」初めてこのCMを見たときに、正直とてつもない衝撃を受けて、涙が出たのを覚えている。なぜここまで強くなれるのか、ポジティブになれるのか。もちろんそうなるまでに我々には想像がつかないくらい辛く、苦しい現実と向き合ってきているはずだが、それを微塵も感じさせない。

 その後、車いすフェンシングという競技自体について彼女が、「後ろに逃げられないから攻撃する以外にない。覚悟を決めて前に飛び出して、勝負を決するしかない」と語るのだが、これはすなわち彼女の人生そのものを表現している言葉なんだということに気づかされる。覚悟を決めて前に飛び出す、その勇気と強さを手に入れることによって、彼女は、そして障害者に限らず全ての人間は自らの人生をポジティブに変えていけるのだということを思い知らされた。

 2020年、東京パラリンピックでは、そんなパラリンピアンたちの前に飛び出す勇気に注目してほしいと思う。もちろん『リアル』で題材となっている車いすバスケも注目の競技の一つであることに変わりはない。バスケ経験者ならあの高さのリングに座った状態で、腕の力だけでシュートを打つことがどれだけ難しいことか、どれほどの筋力が必要かは理解できることだと思う。並外れた上半身、腕の力がもたらす車いすの加速力、クイックネス、激しいぶつかり合い。勇気を手に入れたアスリートたちの肉体と魂のぶつかり合いを、ぜひ現地で体感してもらいたい。

 そして5年あまりの休載を経て連載が再会した本作。戸川、野宮、高橋のこれからを、そして車いすバスケが結ぶ3人の運命はいつどのように混じり合い、そこにどんな”リアル”が生まれるのか。楽しみに待つことにしよう。

■関口裕一(せきぐち ゆういち)
スポーツライター。スポーツ・ライフスタイル・ウェブマガジン『MELOS(メロス)』などを中心に、漫画、特撮、芸能、ゲーム、モノ関係の媒体で執筆。他に2.5次元舞台のビジュアル撮影のディレクションも担当。

■書籍情報
『リアル』1〜14巻(『週刊ヤングジャンプ』連載中)
著者:井上雄彦
出版社:株式会社 集英社
https://youngjump.jp/real/

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