内田樹『サル化する世界』は効率重視の現代社会を生きるヒントとなるか?

内田樹『サル化する世界』は効率重視の現代社会を生きるヒントとなるか?

 内田樹の新著『サル化する世界』が好調に売り上げを伸ばしている。その最大の理由はおそらく、タイトルの引きの強さ。「サル化する世界」という題名を見て、「あ、俺もそう思ってた」とか「最近のモヤモヤした感じって、これだ」という人が意外と多く、思わず手に取っているのではないか。売れる本というのは、そうやって人々の無意識に訴えかけるのだと思う。

 『サル化する世界』の“サル”は“朝三暮四”に由来する。中国の春秋時代、宗の国にサル好きの老人がいた。朝夕に4粒ずつのトチの実を与えていたが、家計が苦しくなったのでエサを減らそうと考え、「これからは朝に3粒、夕に4粒与える」と提案したところ、サルは激怒。そこで「では、朝に4粒、夕に3粒」と訂正すると、サルたちは大喜びしたというアレである。一般的にこの故事は、“目先の違いにとらわれ、結果が同じになることに気が付かないこと”という意味だが、内田は「このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている」(P22)という解釈を与え、「データをごまかしたり、仕様を変えたり、決算を粉飾したり、統計をごまかしたり、年金を溶かしたりしている人たちは「朝三暮四」のサルとよく似ている」(P22)と“今だけ、金だけ、自分だけ”の人たちをいきなり批判する。「『他人ごと』だと思っている」というワードで理論を飛躍させ、使い古された故事をいきなり現代社会に応用する、これぞ内田センセの真骨頂な展開である。「「他人事」だと思っている」はだいぶ強引な気がするが、なぜか腑に落とされてしまい、パチン!と膝を打ってしまうのだ。

 2016年から2019年あたりに書かれたブログ、時事エッセイ、講演などをまとめた、つまり、内田作品のいつものやり方で編まれた『サル化する世界』には、“これぞ内田センセ!”的な論理やフレーズがこれでもかと散りばめられている。「他者とともにあるときに、どういうルールに従えばいいのか」「「この世の人間たちがみんな自分のような人間であると自己利益が増大するかどうか」を自らに問えばいいのである」(P23)も、「日本社会全体の「株式会社化」」(P45)も、「論理的にふるまう人」「を「かっこつけるんじゃねえよ」と冷笑することが批評的な態度だと勘違いしている人たちがすでに言論の場では過半を占めようとしている」(P65)も、「結婚は、幸せになるためにしているのではありません。夫婦という最小の社会組織を通じた「リスクヘッジ」であり、安全保障の仕組みなのです」(P242)も、「人はやりたいことをやってるときに最もパフォーマンスが高くなります」(P277)も、これまでの著作で繰り返し語られてきた“ありもの”。内田作品に親しんできた読者にとっては「またこの話か」なのだが、新たなトピックの中で語られることでさらに理解が深まり、自分の取るべき大人としての態度を決めるヒントとして使えるように仕立て上げるのが、内田の言説の醍醐味だ。

 本作には「新元号について」「『週刊ポスト』問題について」「「老後2000万円」問題に隠された思惑」などここ1〜2年に起きた時事問題が扱われているが、政治、経済、文化を含め、あらゆる分野とあらゆる場所でモラルと知性が消え去り、底が抜けてしまったような社会において、それでも正気でいるために必要な何かが、確かにこの本にも含まれていると思う。その根底にあるのは、“スピード重視のシンプルな解を求めず、わからないものを抱えたまま成熟せよ”というメッセージだと、私は受け止めている。

 一方で内田の言説には、反対意見も多い。“選択と集中”(@ジャック・ウェルチ)に代表される効率重視の考え方や、広告代理店な“これだけ投資すれば、こういうリターンがある”という類の物言いを嫌い、「にこにこ機嫌よくしていないと危機は生き延びられません」(P246)というまるで好好爺のような内田の文言は、ときにまどろっこしく、浮世離れしているようにも感じられるせいか、右からも左からも批判が絶えないのだ。有名なのは、大阪市長時代の橋下徹とのバトル。橋下が掲げる大阪都構想を“時代遅れの成長戦略”と批判し、自ら立ち上げた合気道道場を例に“身の丈サイズの共同体で助け合うことが必要”と説いた内田に対し、橋本は「この内田氏も夢見る子羊ちゃんだね。全く浮世離れ。合気道道場で、大阪府民皆を食わせて下さいよ。稼ぐことと、所得の再分配は全く異なる概念・制度」(2012/01/11のTwitterより)とバッサリ。内田に対する批判の多くは、このときのケースと同様、“現実に即してない。内田の言うことは経済的利益を生まないし、役に立たない”というものだろう。

 かく言う私も、90年代の終わりから00年代に入った頃までは、グローバリズムとか新自由主義といった言葉にぼんやりとした期待を抱いていた。バブル崩壊の煽りをモロに食らった私は、まともな就職もできなかったことをなぜか「既存のシステムが立ち行かなくなり、既得権益を守っているだけの年寄りのせいだ」と思い込み、構造改革を掲げた当時の政権にも好感を抱いていた。シンプルヘッドにもほどがある。穴があったら入りたいとはこのことだ。

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