小林よしのりが語る、凶暴な漫画家人生 「わしにはまだ、納得いかないことが多い」
漫画にしか表現できないこと
――先程のお笑い芸人の話と近いのですが、今はみんな、YouTubeで自分をキャラクター化していて、当時『ゴー宣』でやっていたようなことをやっているわけですよね。しかもネットだとその場ですぐに発信できてしまう。そんな中、漫画の優位性はどこにあると思われますか?小林:漫画でしかやれないことはありますよ。『ゴー宣2nd』 第66章の女性の性的被害の話もそうで、こういう情念が入った表現はインターネットでは無理です。漫画でしか描けない。
――この回の表情は凄かったですね。実写では絶対に撮れない表情だと思います。
小林:被害者の人はこういう風に描けないらしいね。これはある女性の体験をもとに描いているわけ。自分では直視できないけど、こういう風に表現してくれないと、自分の恐怖は伝わらないと言ってました。被害者自身はこういう表現をする術がないわけですよね。でも、わしはできるわけ。被害者が泣きながら訴えても伝わらないことまで、伝えていると思っています。だから被害者が憑依しているという感じがありますね。それは『東大快進撃』(1980年~1981年)を描いてる時に編集者に言われたことなんですよ。
憑依してしまうと、普通じゃない反応が読者から来るんです。『東大快進撃』で東大通が東大受験に向かっていく時に、消しゴムがぐるぐる回っている絵を描いたんですよ。憑依するとああいうわけのわからない表現が出てきて、人の理性とか合理的な理屈を超えるのよ。人を動かす得体のしれない迫力が生まれる。毎回毎回、それをやるわけにはいかないけど、何回かに一回はこういうのを描きたいと思って描くわけ。こっちは何がなんでも伝えたいと思って描いてるわけだから。
いわゆる言論だけをやっているだけじゃないです。表現って自分の全部の体験が漏れ出してきているものだから。自分が喘息で苦しんでいたり、コンプレックスを乗り越えていく時の感覚がすべて、漫画に入っているのかもしれない。プロになってからも、どんだけ悔しい思いをしたかわからない。そういった不安や恐怖といった情念が入り込んでいる。
――憑依と伺って思ったのですが、漫画の小林よしのりが現実の小林よしのりに影響を与えることはありますか? 一時期の窪塚洋介がそうでしたが、役者って自分の演じた役に憑依されて生き方が変わってしまう人がいるんですよね。漫画のキャラクターを描くという行為は役者が役を演じることに近いと思うんです。これが東大通なら、まだ客観視できると思うのですが、『ゴー宣』の場合は、自分自身を漫画に描いてしまったので、どういう心境だったのかなと。
小林:やっぱり描いたキャラクターが強いから、現実の自分も強くないといけないと思うじゃない。だから人格って難しいよね。人に見せたい人格と自分自身の人格がどのように影響し合うのか。赤塚不二夫なんか、三等身のギャグばっかり描いてたから、その影響を受けてるじゃない。「お前、漫画のキャラになるなよ。バカボンのパパになれるわけないじゃんかよ」って思うけど、本人から出てきたものだから、俺の方が面白いはずだと思って、裸になって変なことをしたりする。わしは逆ですよね。カッコよく自分を描いてしまったばっかりにカッコよく生きていかねばと思いはじめてしまう。『ゴー宣』を描いたから人に期待される小林よしのり像を演じはじめてるのかもしれない。
暗殺とテロ、オウム事件と薬害エイズ訴訟
――オウムに暗殺されそうになったときは、「小林よしのり暗殺」と新聞各紙で報じられました。当時はどのような心境でしたか?小林:本能みたいなものが働いて、ずっとピリピリしてるんですよ。なんかおかしいという感じがあって、玉川警察署にも行ったんですけど相手にしてもらえなくて。何か気配があって尾行されてるの。それを巻かないといけないけど、誰だかわからないのよ。オウムがVXガスで狙っていたと知った時に「だからか!」ってなって。
――暗殺されそうになるって、普通はない経験ですよね。
小林:漫画とミックスされた現実の中に自分自身が生きてるような感覚ですよね。だからこそ本能的に危険だとは感じるわけです。用心していたからこそ逃れたわけで。VXガスでやられた人はまさかそんなことが起きるとはまったく思わなかったわけでしょ。こっちは漫画みたいな奴らがいると思ってるから。そこの警戒心が全く違いますよね。
――逆に薬害エイズ訴訟の時は、菅直人が厚生大臣に就任したことで和解が成立しましたが、1996年初頭の時点では状況が停滞していたので、テロをやるしかないと思っていたと『新・ゴーマニズム宣言スペシャル 脱正義論』で描かれていました。あれはどのくらい本気で考えていたことなんですか?
小林:そりゃ、やりたいと思ってたよね。でも、人に危害を与えることをするつもりはなかったから(笑)。あの頃はボディチェックがなかったし、厚生省に簡単に入ることができたから、厚労省の薬務局で色や匂いが強烈な煙が出て、なおかつ人体に害がないものを探して、撒いてやろうと思っていた。それは絶対、大ニュースになるし、刑務所ぐらい入ってみてもいいじゃない(笑)。たとえ大騒ぎになっても、理由を言えば絶対わかってもらえるはずだと思ってたから。「子供がどんどん死んでるぞ。それをどうしてわかってもらえないんだ」と訴えて、テロをすればいいんじゃないかと思ってた。そこで、わしが漫画家として再起不能になるとは全然考えてないわけ。絶対、出てきたらまたすごいものを描こうと思っていたし。
――『ゴーマニズム宣言』獄中編を描くとか(笑)。
小林:そうそう。それもまたウケるに決まってるから。
――当時は、ボタンの掛け違い次第でどうなってたのか、わからないですね。
小林:全部、博打ですよね。オウムと薬害エイズは同時進行でしたから。ストレスにめっちゃめちゃ強くなりました。