小林よしのりが語る、凶暴な漫画家人生 「わしにはまだ、納得いかないことが多い」

小林よしのりが語る、凶暴な漫画家人生 「わしにはまだ、納得いかないことが多い」

 小林よしのりは『東大一直線』(1976年~1979年)、『おぼっちゃまくん』(1986年~1994年)といった数々の名作を生み出してきた天才ギャグ漫画家である。中でも1992年からはじまった『ゴーマニズム宣言』(以下、『ゴー宣』)は、政治、思想、言論といった様々な分野に大きな影響を与えるとともに、漫画表現の新たな地平を切り拓いた作品としても光を浴びた。

 リアルサウンド ブックでは、かつて喧嘩別れした『SPA!』で再び『ゴー宣』の週刊連載『ゴーマニズム宣言 2nd Season』(以下、『ゴー宣 2nd』)を再開し、11月8日には同作の第3巻が刊行された小林に、デビューから現在までを振りかえってもらい、“漫画にしか表現できないこと”をテーマに話を伺った。

 オウム真理教事件と薬害エイズ訴訟と向き合った1995~1996年。小林の中でいったい何が起きていたのか? そして『ゴー宣2nd』に書かれた“最期の戦い”の意味とは? 

 “異常天才”の凶暴な生き様に刮目せよ。(成馬零一)

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友達の似顔絵からはじまった漫画家人生

――小林先生が影響を受けた漫画家について教えてください。

小林:手塚治虫がすごく好きでした。だから最初はSF漫画を描いていたんです。あとは石ノ森章太郎ですね。赤塚不二夫は小学生の時に『おそ松くん』が好きで読んでいたけれど、まさか自分がギャグ漫画を描くとは思ってなかった。手塚賞と赤塚賞にそれぞれストーリー漫画とギャグ漫画を書いて応募したら、両方とも佳作に入ったんですけれど、『少年ジャンプ』がギャグ漫画の方に目をつけて『東大一直線』の前身となる漫画『ああ勉強一直線』が掲載されて。その後、何本か描いた後で、編集長がやってきて「連載が決まった」と言われたものの、わしは漫画の書き方を知らなかったので、「東京に行って石ノ森章太郎のアシスタントとして1年くらい修行してからデビューしたい」と言ったら、「その必要はない。ここ(福岡)で描け」と言われて、そのままデビューしました。

――『東大一直線』は独特の絵柄でしたが、絵はどなたの影響を受けたのですか?

小林:影響は特になくて、あれは友達の似顔絵ですね。学生の時にクラスメイトをモデルにして漫画を描いてたんですよ。『東大一直線』の東大通のモデルは、もう喘息で死んじゃったんだけど、ナガノ君と言って、チビでああいう丸い顔をしていたんです。だから『東大一直線』は、旧友を主人公に描いた漫画なんです。

――『救世主ラッキョウ』(1978年~1979年)の中には楽教新聞という新聞が登場します。「高田みづえちゃんも入信!」と書かれていて(笑)。

小林:何だったんだろうね、あれ。新興宗教ごっこみたいな感覚で自分も入信したいみたいな人が増えてくるから、入会証を作って送ってたんですよ。そんな遊びをしていましたね。

――話数が進むごとに信者が増えていくのがすごく面白くて。最終的に一万人を超えますが、ごっこ遊びの範疇で疑似宗教を作っていたという感覚ですか。

小林:そうそう。漫画の中の主人公が教祖で、読者が面白がって入信するという冗談の宗教ですね。

――くらもちふさこ先生も入信されていて(笑)。

小林:あぁ、くらもちさんは当時よく話していましたね。

――当時の交遊関係が見えるのが面白いです。小林先生の漫画には二つの側面があると思うんですよ。一つは赤塚不二夫直系の異常天才と言われるキャラクターが周囲を翻弄する王道ギャグ漫画の側面。もう一つはメディアとしての側面で、途中から読者を巻き込んでいきますよね。『救世主ラッキョウ』の疑似宗教もそうですが、『おぼっちゃまくん』なら茶魔語を募集したり、『厳格に訊け!』なら読者からの人生相談に主人公が答えたりして、途中から読者が参加する漫画になっていく。責任編集長として雑誌『わしズム』も編集されていましたが、もしかしたら当初から編集者としての側面があったのかなと。

小林:子供の頃、自分で同人誌を作ってたんですよね。それを回覧してたら学校のあちこちに周っていくみたいな感じになってました。わしは小児喘息だったんですけど、喘息になると学校に行けないでしょう。そうなると友達との間が疎遠になって、しらけるじゃないですか。喘息の間は漫画を書いて、友達に見せたらめっちゃ受けるので、そうやって仲間外れにならないようにしてたんだよね。読者を楽しませたいという感覚は、その時からずっとあったんでしょうね。それは『ゴー宣道場』も変わらないですよね。読者がどんどん参加してくる。今は大人だから、政治的な感覚が一緒くたになっているけど、基本的には遊びですよね。それをどんどん拡大している。

―― 読者とのコミュニケーションも含めて、作品になってしまうという感じですか?

小林:いつの間にかそうなっちゃいますね。

――最近の漫画は、雑誌とあまり連動していないように感じます。『少年ジャンプ』ぐらいしか雑誌連載の意味がなくて、単行本で読まれる漫画が増えている。そんな中、小林先生の過去作を読むと、雑誌の中で読者といっしょに作品を作ってきたことがよくわかります。

小林:雑誌を無視しては描けないですね。雑誌といっしょに輝きたい。そこを完全に離れて漫画だけで成立するというのは、なんか面白くないですね。雑誌の中で毎回インパクトを与えたいって感じはあるね。

――『少年ジャンプ』で描いていた時にライバルだと思っていた漫画家はいますか?

小林:当時はギャグ漫画が全盛だったから、誰も彼もがライバルという感覚でした。『少年ジャンプ』だけでも、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『すすめ!!パイレーツ』、『温泉ボーイ』、『トイレット博士』とかがあったし、『少年チャンピオン』では『がきデカ』や『マカロニほうれん荘』が、『少年サンデー』では『まことちゃん』が連載されていた。ギャグ漫画の中で特殊な能力を発揮している作家が、みんなで競い合っているような感じでした。

――『おぼっちゃまくん』を読むと、「これこそが自分の思う漫画だ」と感じます。今はこういうギャグ漫画が減ってしまいましたが、4等身のキャラクターがわちゃわちゃやってるのは安心して読めます。

小林:わしの中でこの作風はどうしようもないんですよね。赤塚不二夫で育ってきたから。生身の人間と錯覚するほどに生き生きとしたヘンテコなキャラが動きまくる姿を描き、それが社会風刺と結びつくのが、わしにとってのギャグ漫画です。

――『東大一直線』の時代とくらべると、ギャグ漫画全体の力がなくなっていると思うのですが、何が原因だと思いますか?

小林:ひとつはお笑い芸人ですよね。みんな、面白いもん。漫画みたいな奇怪な顔した奴が次から次に出てくるから、漫画家としてはキツイですよ(笑)。今の芸人はキャラクターだから、そうなると若い奴はあっちに行っちゃいますよね。女芸人だってすごいじゃないですか。アメリカのオーディション番組ですごい格好したやつがいますよね。

――ゆりやんレトリィバァですね。

小林:あれは漫画でしか表現できないキャラだよ(笑)。あんなの生身の人間にやられちゃかなわんよ。『最終フェイス』(1989年~1991年)くらい凄い顔を出さないと対抗できない。世界観を作らないとギャグ漫画は難しいですよね。『おぼっちゃまくん』みたいに、突き抜けて金持ちとか、人間を道具みたいに扱う感覚とか、世界観ごと変なことをやらないと面白くならない。

『ゴーマニズム宣言』が壊した漫画と現実の境界

――『ゴー宣』1巻の序文に「手塚治虫、赤塚不二夫に、一泡吹かせる時が、来たのかもしれん!」と書かれています。今までにない漫画になるという確信があったのでしょうか。

小林:『ゴーマニズム宣言』というタイトルを付けた時にものすごい衝撃があったんですよね。画期的なタイトルだと思ったんです。それで連載をはじめると現実とものすごく交差しはじめて、週刊誌や知識人がどんどんケンカをふっかけてくるんです。いろんなやつが潰しに来るから戦わなきゃならなくなって、漫画なのか現実なのかわからない状態に巻き込まれて、それがオウムまで巻き込む状態になっちゃった。どっちが先に巻き込んだのかわからない状態でしたけれど。

―― 地下鉄サリン事件が起こる前からオウム真理教について描かれてましたね。1989年に起きた坂本堤弁護士一家失踪事件(後にオウム真理教による殺害だと判明)について推理をする回(第百二十五章「拉致――最低最悪の抗議手段」『ゴー宣』第7巻収録)で。

小林:わしはオウムを最初に見た時に「キモい」って思ったんだけど、何人かの知識人が「あれは立派な宗教だ」と言っていて、不満があったんです。オウムの前に統一教会について描いたんですけれど(第五十五章「集金奴隷」『ゴー宣』2巻収録)、わしのおばさんが拉致されちゃったんですよ。福岡まで連れてきて洗脳を解こうとしたんだけど、おばさんが統一教会に電話して拉致されてしまう。その経験から、怪しい宗教団体は人を拉致するというのが頭の中にあった。弁護士が相談に来たから、名探偵になった気持ちで推理して、「なんで警察はこの程度の推理もできないだ」と描いてしまったら、オウムが攻撃してきて、「なんなんだ、これは」って。

――『救世主ラッキョウ』で、ごっこ遊びのギャグとして宗教を描いていたのが、現実の方が漫画のようになっていったということですか?

小林:オウムみたいのが出てくるとは思わないですよね。サリンを撒くなんてフィクションではできない飛び方をしている。だからこそ漫画家としては、麻原彰晃の気持ちがすごくわかってしまう部分もある。

――『ゴー宣』は、絵が文字情報を超える瞬間があるんですよね。例えば麻原彰晃の描かれ方をみていると、醜悪で許せない存在として描いているはずなのに、妙な愛嬌がにじみ出ていて。

小林:なるほど。

――悪い奴を描いてる時こそ筆がノッてますよね。双葉社版の『ゴー宣』9巻に収録されたテリー伊藤さんとの対談の中に小林先生が描かれた麻原彰晃の絵があるんですが、麻原の下に東大通と御坊茶魔が描かれていて、小林先生が「中沢新一は『おぼっちゃまくん』に似ていると言ったけど」「むしろ東大通にそっくりだな~」「すると全部わしの中にあるものと言えるな~」と語っていたのが、当時とても印象的で。

小林:この頃、凶暴だったんだよね、わし(笑)。

――『ゴー宣』には、「あらゆるものをわしの漫画にしてやる」という気迫を感じます。

小林:現実を描いてもフィクションのように面白いって感覚になってしまったんですよ。漫画と現実がごっちゃになって。そんな現実の中にわしも組み込まれていく。漫画で描いたことが現実になったりもするし、もうわけがわからなくなっていくんですよね。

――当時一番知りたかったのは、漫画の小林よしのりと現実の小林よしのりの違いです。完璧にイコールではないですよね。

小林:それは違うと思いますよ。偽悪的に描いているところもあるし、良い人に見られてはかなわんという感覚もあって。でも、わしは漫画の編集者と会うと、一番常識的な人と言われますよ。

――「朝まで生テレビ!」で実物の小林先生をはじめて見た時に、漫画のキャラクターとちょっと違うなって思ったんですよ。もっと恐い声を想像してたんです。その頃からテレビに出始めたと思うんですけど、漫画と実物、両方を見ることでやっとバランスがとれるというか。漫画の小林よしのりを盲信するのはヤバいかなぁと思いつつ読んでたんですけど、現実の小林先生の喋っている姿を見た時に「この人なら大丈夫だ」と安心して『ゴー宣』を読めるようになりました。

小林:何やねん、それ(笑)。

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