Crystal Lake脱退からシーンへの帰還 Ryo Kinoshita、「Knosis」始動とゲームへの心酔

Ryo Kinoshita、ゲームへの心酔

『ELDEN RING』をプレイしながら「これって俺らの人生みたいだよな」って

――そんななかで、2nd EP『THE ETERNAL DOOM』が完成しました。メタルを基本にしたバンドサウンドを前面に出しつつ、テイストの異なる3曲が揃いましたね。

Ryo:はい。でも、今回のEPでは主にバンドサウンドにフォーカスを当てて作りました。ギターオリエンテッドというか。

――バンドサウンドにフォーカスしたのはどうしてだったのでしょうか? ライブを意識して?

Ryo:ライブをやったということは大きかったです。あとは、いろいろ試したうえで、「もう一度バンドをやってみようよ」というYoshの提案もあって、“今までの自分っぽいものを新しい自分として表現する”がコンセプトでした。最初にできたのが「神喰 [KAMIGURAI]」なんですが、これはふたりでジャムっていたら自然とできた曲で。僕もYoshもずっとバンドをやってきたから、自然と出てくるのはバンドサウンドなんだなと思いました。そもそもKnosisとしてのサウンドの軸として、2000年代のエモ・スクリーモというものがまずあったので、それらを見つめ直してうまくハマったのが「神喰 [KAMIGURAI]」でした。

――おふたりの持っている軸はバンドサウンドだということをあらためて噛みしめた、と。

Ryo:そうです。「ここは忘れちゃいけないよね」って。今までのRyo Kinoshita+新しいRyo Kinoshitaがストレートに提示できた曲だなと思います。

――そんなバンドサウンドにフォーカスした本作ですが、歌詞の面では内面をさらけ出しているような表現が印象的です。

Ryo:今回の『THE ETERNAL DOOM』は、Knosisが成り立つ過程のなかでのすごくダークな瞬間というか、自分がいちばん落ちていた時の気持ちを表現したくて。僕もYoshも、自分のなかの膿を一度外に出そうというのが、この『THE ETERNAL DOOM』でした。だから自分に矢印が向いていて、かつ攻撃的な作品になったんだと思います。『THE ETERNAL DOOM』がなかったら、おそらくずっとダークな感情が続いていたと思う。そこから脱却するのがKnosisの次のフェーズだと思ったので、出す必要のあるEPでした。

――膿を出す作業というのはすごくしんどいことでもあると思うんですよね。それを曲にすることで、昇華される感覚があるのでしょうか?

Ryo:まさに昇華ですね。自分の体から出ると、もう自分自身ではないものとして捉えられるようになって。もちろん自分が生み出したものではあるんですけど、より客観的に見ることができるようになりました。

――ここからは一曲ずつお話を伺っていこうと思うのですが、その前にひとつ。Knosisのこれまでの楽曲は、歌詞やフレーズがゲームからのオマージュなんじゃないかと言われていましたが、今回もそうですよね?

Ryo:前作(1st EP『The Shattering』)の3曲は、フロム・ソフトウェアの『DARK SOULS』シリーズ、特に『ELDEN RING』の流れを汲んでいて。というのも、Yoshとふたりで『ELDEN RING』をプレイしていて、「これって俺らの人生みたいだよな」という話になったんです。『DARK SOULS』シリーズって、すごく難しいんですよ(笑)。ボスが強くて、倒すまでに何回も死ぬ。でも、死んで死んで何百回も戦って、ようやく勝つ――その姿が自分やYoshのライフスタイルにフィットして。しかも『ELDEN RING』は、めちゃくちゃマップが広いんです。そんな広いところで、あてもなくいろんなことを探そうとするのも自分たちらしくて。めちゃくちゃ広いところで、あてもなく何かを求めて、壁にぶち当たって、それをなんとかしようとして、何回死んでも越えてやろうとする。その気持ちが、前作の3曲にも、今作の3曲にも根底としてあります。ちなみに、ふたりで『ELDEN RING』をプレイする時って、探索するのがYoshで、ボスと戦うのが自分なんですよ。そこにもふたりの関係性や人間性が出ていて面白いんですよね。

――それは面白いですね(笑)。「厄災 [Yaku-sai]」は、いちばんストレートに本心が書かれているのかなと感じました。

Ryo:そうですね。この曲のタイトルは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のラスボスの名前「厄災ガノン」から取りました。争いだったり、ネガティブなエネルギーの元になる“厄災”。そんな厄災は、自分のなかにもあって、外からもたらされるものでもある。それぞれと向き合いながら戦う、というのがこの曲のおおまかなストーリーです。『ELDEN RING』の最後のボスが、簡単に言うと二重人格なんです。ふたつの存在がひとつになっているというか――これを説明し始めると朝までかかっちゃうので割愛しますけど(笑)――なんかそれに近いなと思ったんです。あくまでも自分にネガティブな感情をもたらす厄災というのは、自分のなかのダークサイドであり、他者のダークサイドでもある。そして、それは別物であるけど、同じものでもある。すごく矛盾も孕んでいるけど、みんなが持っているものでもあるのかなって。

――なるほど。自分自身のなかに厄災があると思うのって、すごく苦しいことですよね。

Ryo:そうですね。でも、やっぱり自分のなかに原因を求めるというのはすごく大事なことだと思う。人のせいにするのは簡単だけど、そうじゃなくて、自分と向き合って、それをどう乗り越えるかを考えることが、よりいい自分になるためにすごく必要なこと。自分にとってはそうでした。

――まさにそれがRyoさんにとってのセラピーだったんですね。

Ryo:そうだと思います。

――続いては「神喰 [KAMIGURAI]」ですが、これはまさにゲームの世界観ですね。

Ryo:はい(笑)。この曲のテーマは、ゾンビゲーム。あとは『DOOM』というSFシューティングゲームからもインスピレーションをもらいました。歌詞にも〈double tap〉とか〈headshot〉というゲームの用語も入れて。視点としては、ゾンビを倒す側ではなくて、ゾンビ側。ゲームのなかのゾンビは打たれたら死んじゃいますけど、ゾンビって概念的には死なない存在だから、「殺せるもんなら殺してみろ」とサビで歌っています。

――先ほどおっしゃっていた「死んでも死んでも何百回も戦ってようやく勝つ」みたいな。

Ryo:そうです。『ELDEN RING』の世界では誰も死なないんですよ。死んでも生き返るという設定があって。その設定を“笑って戻ってくる”という皮肉として使いつつ、同時にネガティブなものを客観的に笑えるようになったということを表現しています。

Knosis | 厄災(Yakusai) | Official Music Video

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