Official髭男dismが代弁する、労働者のリアルな日常 “真の応援ソング”たる理由

 Official髭男dismのことをなんとなく自分には関係ない音楽なんだろうと距離をとっていた節がある。少々変わったバンド名や「キャッチーなメロディとハッピーなサウンド」とブレイク前後に言われていた音楽をそのまま受け取って、ポジティブで楽しそうで幸せなそういう人のためだけのバンドだと思っていた。そうやって一線を引いてぼんやり聴いていたせいで、明るさの陰に潜む憤りや悲しみを見落としていたのかもしれない。私が彼らの魅力にようやく気づいたのは、その存在を知って数年経ってからのこと。

 ヒゲダンの新曲「日常」を何度も繰り返し聴いている。『news zero』(日本テレビ系)のテーマソングということもあってか、この曲は現代の薄暗い空気を見事に表現した秀作だ。

 タイトルにある“日常”というのは労働者たちのそれだろう。〈はしゃぎすぎた週末のシワ寄せならばまだ良いのに〉〈先の見えない帰り道 「明日なんてなきゃ良いのに」/今何て言った? あぁ、確かめなきゃ良かった〉〈ノルマ以下か以上か 日常は今日も計られる/スーツでもスウェットでもそれは同じみたいだ〉など、もうその描写は実にリアルで、自分の生活を俯瞰されているかのようである。どうやらそう思っていたのは私だけではないようで、過重労働を強いられている知人から「ヒゲダンの新曲聴いた!?」と興奮気味に連絡があったほど。

Official髭男dism - 日常 [Official Video]

 「国民生活に関する世論調査」にて、現在8割近くが「日常生活に不安や悩みを感じている」と回答し(※1)、「労働安全衛生調査(実態調査)」によればメンタルヘルスに悩まされている労働者は増加の一途をたどっているという(※2〜4)。コロナ禍以降とても平和とはいえない状況が続くなかで、そりゃそうだよねと悲しくも理解できてしまうものなのだが、「日常」はそんな時流を“ひとりの労働者”に焦点を当てて切り取った。そしてそのメッセージが多くの聴き手から共感されているという事実が、彼らの批評に真実味をもたらしている。

 思えば近年のヒゲダンの曲には、この社会で生きる若者への目線が感じられた。〈「あの頃に戻りたいな」 それ以外に何かないのか?〉と嘆く「Anarchy」や〈噛み砕いても無くならない 本音が歯に挟まったまま〉と叫ぶ「ミックスナッツ」は、明確に社会に対する苛立ちと将来への不安を表してるし、〈「凍りついた心には太陽を」 そして「僕が君にとってそのポジションを」/そんなだいぶ傲慢な思い込みを拗らせてたんだよ〉という「Subtitle」の一節からは、“僕”には介入できない外的要因によって傷心しきった“君”の姿が浮かぶ。そうした歌詞が書けるのも彼らが何かしらの不安を感じているからだろうし(「ガッツリとこの時代の被害者になっているわけでして」と言っているように/※5)、その言葉はこの国に身を置く若い労働者の心情とも重なるものがあるのではないだろうか。

Official髭男dism - Anarchy[Official Video]
Official髭男dism - Subtitle [Official Video]

 加えてそのあまりに具体的な心情描写が、まるで自分事のように聞こえてしまう理由は彼らが紡ぐ音にあるのだろう。こちらの肩を掴んで訴えかけるようなダイナミックな音楽の力に心は乱され、いつの間にか塞いでいたはずの傷口が痛みだし、最後にはじんわり熱が残る。こうした音楽性は初期の頃には鳴りを潜めていたように思う。

 累計再生数1億回を突破したヒゲダンの楽曲は14作もあり、2022年10月にリリースされた「Subtitle」は史上最速でストリーミング累計5億回再生を突破したという。CD出荷50万枚突破の大ヒットアルバム『Traveler』(2019年)以降も勢いが止まらない要因は、もちろん前述したような共感性の高い歌詞にもあるだろうが、さらにいえば自分たちにとってのリアルを追求したことにあるのかもしれない。

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