Official髭男dismが代弁する、労働者のリアルな日常 “真の応援ソング”たる理由
アルバム『Editorial』(2021年)のインタビューで、彼らはわかりやすさや普遍性から距離をおき、自分たちが届けたい言葉、鳴らしたい音について考えていると言及していた(※6)。そうして心の声に耳を傾けて生まれた音楽は、大胆な遊び心がある一方で危うさがつきまとう。ヒゲダンに関するいくつかの記事を読むと、その自由な音楽性が絶賛されているのが目につくが、私はどちらかといえばその隙間から見え隠れする陰りがどうしても気になるし、そこにこそOfficial髭男dismと市井の人々をより一層深く結びつける何かがある気がしてならない。
「Subtitle」冒頭の物憂げで切ないピアノの旋律も、「HELLO」「Anarchy」に垣間見える儚いメロディも、「Laughter」の重厚でざらりとしたアレンジも。そこから溢れる繊細さやヒリつきは、まるでこの薄暗い社会の中で生きる人間の心細さそのもののように響く。その壮大でエモーショナルなサウンドに耳を澄ませてみれば、弱き者が持つ柔らかい部分を揺さぶるような音がしてくるし、だからこそあのストレートな歌詞にリアリティを感じるのだろう。仕事終わりの終電で彼らの曲を聴いて、不意に泣きそうになるのはたぶんそのせい。そんな曲が作れるのは彼らの才能といえばそれまでだが、そんな天才たちが小さな生活のなかにいる受け手と深いところで繋がっていられるのは、自身の弱さと向き合いながら曲を生み出してるからではないだろうか。
ヒゲダンの曲はたびたび“応援ソング”なんて言われたりするが、本当にその通りだと思う。“応援ソング”というとありきたりな言い回しに聞こえるかもしれないが、決してそうではなく、彼らの場合は真の意味でこの表現がはまる。応援なんて本来、今この状況の過酷さに対する理解が感じられなければこちらには何にも響かないのだ。ヒゲダンを聴いてると「あぁ、たしかにこれは『大丈夫』や『頑張れ』って歌詞に苛立ってしまったことのある人の曲だな」という感じがする。そんなアーティストは意外となかなかいない。
J-POP史に語り継がれるヒット曲には、いつの時代にも共感される普遍性を持ったものもあれば、その時代ごと真空パックしたかのように当時の血を感じさせるものもある。私はglobeの「FACES PLACES」や「FACE」を聴くたび、その時代を生きた若い労働者たちについて考えさせられるのだが、ヒゲダンの曲もまたそうしたJ-POPの名曲として後世に残っていくのだと思う。彼らの曲を20年後に聴いたとき、私は挫折を繰り返した日々を昨日のことのように思い出すし、きっとその時代の新たな若者たちは2020年代を生きた私たちに思いを馳せるだろう。そんな気がしてならない。
※1:「国民生活に関する世論調査」(内閣府)(問6)日常生活での悩みや不安https://survey.gov-online.go.jp/r04/r04-life/index.html
※2:https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/r02-46-50_gaikyo.pdf
※3:https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/r03-46-50_gaikyo.pdf
※4:https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/r04-46-50_gaikyo.pdf
※5:https://editorial.ponycanyon.co.jp/interview/
※6:https://rockinon.com/interview/detail/199900
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