Dios、停滞した社会に投げかける“健全なアンチテーゼ” 新たな鎖をまとうことで自由になった2ndアルバムを語る
たなか(前職:ぼくのりりっくのぼうよみ)、Ichika Nito、ササノマリイからなるバンド Diosが2ndアルバム『&疾走』を完成させた。この3人で初めて作った前作『CASTLE』(2022年)で提示したメッセージ、そしてその『CASTLE』を解体して再構築するようなリミックスワークやライブパフォーマンスを繰り広げてきた2023年前半を経て、このアルバムで彼らは完全に新たなフェーズに立ったと言っていい。
外部アレンジャーに参加してもらうことで3人の個性はより自由闊達に引き出され、たなかの書く歌詞もよりフォーカスの定まったタフなものになった(今作の歌詞を書くにあたって、彼はアレンジャーとしても参加している川口大輔とキャッチボールをしながら歌詞をまとめていったという)。「逃げ場」としての「城」を築き上げた前作から打って変わって、その城を破壊し、そこにある愛を見据え、憂鬱や退屈を引き裂くようにして前へ前へとひた走る『&疾走』は、本当の意味で時代を鼓舞し、固定観念でがんじがらめの世界に強烈なアンチテーゼを突きつけている。今作の「ポップ思想犯」としての力強さは、きっとこれからのDiosの新たな土台となっていくはずだ。そんなアルバムの手応えを3人に語ってもらった。(小川智宏)
“好き勝手にやる”ことで見えてきたDiosの真の個性
――今年のDiosはリミックスEPを出したり、ビルボードでライブをやったり、1stアルバム『CASTLE』の再構築・再検証をするような動きが目立っていました。あれにはどういう意図があったんでしょう?
たなか:僕らの中で『CASTLE』というアルバムには、それぞれソロでやっていた3人が集まってものづくりをするというのはどういうことなのかを確認する作業、みたいなところがあって。それを改めてバラバラにして、リミックスし直すというか。ビルボードの時は同期ゼロでやりましたし、それぞれ3人がソロではやってきていたことをDiosではすっ飛ばしていたので、生身の体で音楽をやることの再確認を今年の頭ぐらいにやっていました。それから改めて「Diosとしてどうやって勝ちにいこうか」というところでいっぱい曲を作るようになって、今に至っています。
――そのプロセスの中でどんなことを感じました?
たなか:強みが明確にあるのに、それをうまく活かせてなかったことは感じました。その理由と、そこへの対処の仕方は結構わかってきた感じがありますね。
Ichika Nito(以下、Ichika):今までは3人が頑張って1つの曲を作ろうとしていたというか。3人のおいしいところも悪いところも含め、個性が削ぎ落とされた状態で1つの曲になっていたなと思って。そうすると面白みがちょっと欠けるというか、この3人らしさがどうにも見当たらない曲があったりしたんです。それを続けてももったいないと思うし、この先の未来も少し閉ざされてくるだろうという不安もあったりして。そうやって『CASTLE』を再構築をしたことで、2ndアルバムをどうするかっていうのが明確に見えてきたよね。
たなか:そうだね。
Ichika:模索していくことで自ずと道が決まって、まずやるべきはこの3人の個性を殺さずに、どんな歪な形でもいいから1つの曲にしてみよう、と。
ササノマリイ(以下、ササノ):もともと個性が強い歌とギターという部分に対して、僕はまとめ役としているんだっていう気持ちでいたんです。2人とも「そんなことない」って言ってくれるんですけど。
Ichika:音楽的には実際にまとめてくれてるんです。最後にトラックをパラデータで書き出してエンジニアに送るっていう、アレンジャーでありマニピュレーターみたいな役割だから。ただ、人間的にまとめ役かというと、それはもう疑問しかないよね。
ササノ:最年長なんですけどね(笑)。って言うのもあり、2人の出してくるものをいい見た目にパッケージングしようっていう意識がずっと強くあって。それが結果的にこじんまりとまとまってしまうことが多かったのかなって。自分自身がこうやりたいっていうものが最初はあまりなくて、2人の出してくるものを商業作品としてちゃんとまとめ上げよう、それが自分の使命だなって思っていたんですけど、『CASTLE』を出し終わってから「もうちょっと好き勝手にやった方ががいい」っていう話し合いがあって。
Ichika:そうなんですよ。
ササノ:じゃあちょっとやってみるかっていう。意識的に“ちゃんとしない”ことをやらないと、何も考えなくても結構こじんまりさせちゃうのが自分の癖だったりするんで、とにかく自分も好き勝手やって、最後誰かに「すみません、好き勝手やったんでこれをまとめてください」って投げられるぐらい、自分も素材を出す側の気持ちで作りました。それで今回、TAKU INOUEさんやHironao Nagayamaさん、川口大輔さんといったアレンジャーの方にお手伝いいただいて、最終的にまとめていただくっていう形を取ったんです。
たなか:ぼくのりりっくのぼうよみの時もササノと一緒に作っていたんですけど、あの時はいろいろなプロデューサーを呼んで一緒に作っている中の1曲とかだったんで、そういう意味でササノの責任感があまり作用していなかったと思うんです。でも『CASTLE』の時のササノは、最終的に全部まとめるぜっていうところでブレーキがかかっていたんですよね。トータルプロデューサーみたいな意識だった。
Ichika:クオリティコントロールの方にプライオリティを置きすぎていて。リソースが限られてるから、そっちに全部割いちゃってたってことだよね。
「ファンタジーはもうこりごり」(たなか)
――この3人が集まってやるぞってなった時には、それをやらなきゃいけないなっていう役割意識がたぶんあったんですよね。
Ichika:それも当然だと思うんですよ。当時は外部のアレンジャーもいなかったし、プロデューサーもいないし、僕ら3人で完パケさせる必要があったから。
たなか:だから、チームとしての構造が……悪くないんですけど、MAXのパフォーマンスが出る状態になってなかったんです。そういう意味で外部の人を入れるっていうのはめっちゃいいよねって。
――そうやってDiosのメカニズムが変わり、そこに外部アレンジャーが入ることで、今作ではサウンドも歌詞も大きく変貌したと思います。
Ichika:具体的なプロセスでいうと、例えば「アンダーグラウンド」はドラムンベースとかブレイクコアとか、音ゲーチックな音楽、ナードなテイストの音楽じゃないですか。いわゆるアートコアっていうジャンルに近い。僕やササノはそういうのが好きで、遊びで2人で作ったりしていたんですよ。それが「アンダーグラウンド」になったんです。最初は歌を乗せるつもりもなかったけど、趣味で作ってたのを聴いてもらったら「意外といいんじゃない?」みたいな。それで歌を入れてみたら「めっちゃいいな」って。『CASTLE』にはそうやって遊びからできた曲がなかったんですよね。
――本当に自由度が高まっているというか。パターンにとらわれなくなったと。
Ichika:個性っていうのは、お互いが持つ性癖だったり、それぞれが何を美しいと思うかだと思うんです。今回は他の人から見た“美しいと思うもの”じゃなくて、自分の視点で見て美しいものをどんどん詰め込んでいこうっていう感覚ではできていたかもしれない。その「美しいもの」もそれぞれの見方が反映されていて。たなかの場合は「ファンタジーはやめた」って言ってるもんね。
たなか:ファンタジーはもうこりごりなんですよ。
Ichika:それが今のやりたいものなんだよね。
――ファンタジーをやめたというのはなぜなんですか?
たなか:やっぱり厭世的なものの飽和をすごく感じていて。最近はシティポップとTikTokの文化が融合したような楽曲群があるじゃないですか。それってずっと停滞している、停滞こそが美徳みたいな世界観で。そういうものは、むしろ自分が(ぼくりりとして)やってきたものだし、そういう憂鬱さをそのまま描いて美しく仕立て上げることに楽しさを感じてもいたんですけど、今はみんなやってるんで、自分はやらなくていいかなと。その先にどんどん行きたくなっているという感じです。
――「アンダーグラウンド」では〈世界は美しいんだ/認めて何が悪い?〉って言ってますからね。
たなか:そうなんです。無理やり全部否定して閉じこもろうみたいなことは、本当に生産的じゃないんでやめようっていうバイブスですね。
Ichika:「寝て生きてるだけで、何もしなくてもあなたは偉い」みたいなものは、もういいだろうと。
たなか:そうなんだよ。正しいんですよ? もちろん正しいんだけど、それって基本的人権みたいな話なんで。それは憲法で保証されている一番ベースのラインで、そのラインを割っちゃうくらいみんな苦しい、辛い思いをしているということがそもそも悲惨なんですが――。
Ichika:社会が反映されているからね。
たなか:「生きているだけで偉い」がもてはやされるのは、そういう限界の表れだなと思うんですけど、一方でそういう停滞から先に行きたいと思っている人もいっぱいいるはずで。僕らが演奏する音とか言葉で、そこから前に進むために必要なものって何だろうと思った時に辿り着いたのがこの『&疾走』なんです。