映画『君たちはどう生きるか』、米津玄師と菅田将暉の邂逅は運命だったのか? 対談からふたりの共通点を紐解く

 一方で俳優・菅田将暉の場合、これまでの共演者やスタッフの証言の数々から、感性や勘での演技を得意とする、臨機応変な対応力に長けた役者であると言えるだろう(※1、2)。そこから生まれた他者にはない彼の天性の才能のひとつが、圧倒的な“役への没入”だ。菅田自身も、役を演じるうえで「“誰かの人生のこと”ばかりを考えている」という主旨の発言を度々しており(※3)、役に入った状態でのアドリブ能力の高さを複数の人々が高く評価している点からも、そんな彼の強みが見受けられる。

 重ねて、デビュー作『仮面ライダーW』をはじめ、『セトウツミ』『帝一の國』『火花』といった、男性バディやコンビ作品で主演を務める機会が多いのも特徴的だ。そういった作品への起用率が高い理由のひとつに彼の“共感力”の高さが度々挙げられるが、これは菅田の役への憑依能力の強さ、つまり“他人事を自分事として受け取る能力の高さ”が別角度へと発現した形のようにも見て取れる。その証拠に、今回の対談動画においても米津が喋り手となり菅田が共感を交えつつ傾聴に徹するシーンが全体を通して多く散見される(20分53秒付近では米津が「もう少し自分の話をすると」と断りを入れるほどの熱の入りようだ)。これは、昨年2022年11月に公開された、米津とKing Gnu 常田大希の対談動画を比較すればその傾向がより明白なことがよくわかるだろう。

米津玄師 × 常田大希 - KICK BACK 対談

 ミュージシャンと俳優というカテゴリこそ異なれど、このように表現者として近しい価値観を持つふたり。彼らの“誰かの人生を自分に落とし込む”深度の深さやその質の近似性を考えると、両者がなぜ今作で邂逅を果たしたか、という問いの答えは実に明快だ。それはまぎれもなく、『君たちはどう生きるか』という映画の解釈のひとつとして、監督・宮﨑駿自身の人生そのものを暗喩した物語だったから、という結論に尽きる気がしてならない。今作に携わる人々の至上命題は、単純な劇中ストーリーと登場人物の解釈ではない。物語の脚本からもう一段階作品の深部へと足を踏み入れ、映画に投影された宮﨑駿その人の人生について咀嚼し、アウトプットへ落とし込む――それこそがおそらく今作に課された表現課題であり、それに応える米津、菅田をはじめとした面々の重責、そして表現者としての至上の喜びは、まさに筆舌に尽くしがたいものであったことは想像に難くない。

 架空の誰かの人生であるフィクションが二重の入れ子構造となり、実在する(しかもこの国においてもはやフィクションの最高峰とも呼べる)人物の人生を示唆した物語とも言える『君たちはどう生きるか』。そう考えると、現在のエンターテインメント界において、圧倒的に誰かの物語に寄り添う能力に長けたふたりがここで果たした邂逅は、ある種必然の事象でもあったのだろう。往々にして人生のターニングポイントとなり得る機会は、これまで積み重ねた経験や価値観が最も色濃く表出する場面ともなりやすい。米津にとっての菅田将暉という人間は、動画内で語り合った今後50年の年月においても、そういった人生の要所で道が交錯し続ける、稀少な絆で結ばれた存在であり続けるに違いない。

米津玄師 × 菅田将暉 - 僕たちはどう生きるか 対談

※1:https://eiga.com/news/20180420/22
※2:https://natalie.mu/eiga/news/239325
※3:https://news.yahoo.co.jp/feature/912

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