米津玄師の歌詞に“名前を呼ぶ”というワードがよく使われるのはなぜか 「普通の人になりたかった」幼少期と本人の言葉から紐解く

 『ジョージア』CMソング「LADY」、『FINAL FANTASY XVI』テーマソング「月を見ていた」リリース。さらに全国ツアー『米津玄師 2023 TOUR / 空想』全公演完走と、2023年も引き続き、米津玄師の活躍の話題には事欠かない。そのたしかな手腕は多彩な作品群からも見て取れるが、なかでも彼の曲の歌詞に関する考察は、アーティスト・米津玄師の内面を反映する重要なファクターのひとつとして、これまでにも度々触れられてきた話題でもある。

 彼の曲に頻出する言葉やフレーズ——いくつかある印象的なもののうちのひとつが、“名前を呼ぶ”という表現だ。この描写に焦点を当てると、どうやら彼が“名前を呼ぶ”行為を非常に好意的に、ともすれば愛情表現の一環として捉えているようにも見て取れる。そう仮定した時、ではなぜ米津玄師は“名前を呼ぶ”ことを愛情の示唆とするのか。彼は“名前を呼ぶ”ことに、行為の意味そのものを超えて、どのようなミーニングを持たせているのか。これまでの楽曲に登場する該当表現を抽出し、本稿では彼の楽曲、あるいは米津玄師自身にとって“名前を呼ぶ”行為が示す価値観について、さまざまな角度から解釈を深めてみようと思う。

「ドーナツホール」
〈最後に思い出した その小さな言葉/静かに呼吸を合わせ 目を見開いた/あなたの名前は〉

「アイネクライネ」
〈あたしの名前を呼んでくれた/あなたの名前を呼んでいいかな〉

 略歴で楽曲を追うと、米津玄師名義での活動初期に件の描写が登場する代表例は、ハチ名義でリリースし、のちにリリースされたアルバム『YANKEE』にも収録された「ドーナツホール」だ。ここでは近似表現による歌詞の結びで、楽曲そのものに余韻を残し、名前を呼ぼうとする行為に大きな意味深さを滲ませている。

 また、同アルバム収録の「アイネクライネ」も、明確に“名前を呼ぶ”表現が記された一曲だ。『YANKEE』は、全編を通して〈あたし〉と〈あなた〉の相対にまつわる描写が多く、なかでもこの曲はその象徴たる曲と言ってよいだろう。こちらも同様に“名前を呼ぶ”行為を歌詞の結びとするが、そこに緊迫のニュアンスはなく、むしろ相手と心を通わせるその行為に温かな愛おしさを孕む表現となっている。

ハチ - ドーナツホール , HACHI - DONUT HOLE

「あたしはゆうれい」
〈それでも愛を あたしの名前を/教えてほしいの その口から〉

 続く2015年発売のアルバム『Bremen』には、該当表現に近い描写を含む「あたしはゆうれい」を収録。本曲では〈あたしの名前〉と〈愛〉を同じ格助詞〈を〉に接続し、文脈内で明確にふたつを同義に扱っている。これまで感覚的だった“名前”=“愛情”のニュアンスが直に描かれたことで、彼の歌詞世界における“名前を呼ぶ”という行為を愛情表現とはっきり認識したリスナーも多かったはずだ。

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