G-FREAK FACTORY、ライブという居場所を守り抜いてきたからこその美しい景色 25年の歩みを未来につなげた野音レポート
「EVEN」で歌われる永遠性というのは、コロナ禍を経て、多くの人にとっても身近になったテーマだと思う。当たり前のようにあったライブが一気に失われ、今は復活の兆しが見えているものの、それ以前からG-FREAKのようなバンドが“帰れる場所”としてライブハウスシーンの地盤を作ってこなければ、もっと悲惨な状況になっていたのではないか。茂木は「らしくあれと」で〈いつもここにいるから/ライブハウスに帰ってこいよ〉と歌詞を変えて歌っていたが、いつだって不安を抱えた人をライブに受け入れ、最高のステージを届けるために胆力を鍛え続け、『山人音楽祭』のような大きな居場所までも地元に築き上げてきたのが、G-FREAKの25年間だった。そうやって安心を守るために闘争し、団結を促してきたバンドの真髄が、野音のクライマックスに向けてますます輝き出していく。
前述した「HALF-DONE」から「Fire」へと繋ぎ、「Too oLD To KNoW」「ダディ・ダーリン」「GOOD OLD SHINY DAYS」で締め括られた本編。会場には家族連れの観客も多く訪れていたが、その子どもたちの中に、1人でも将来バンドを組んだり、ミュージシャンを志す人がいるのなら、いつかこの日のライブを思い出してもらえたらいい、そうやってG-FREAKが未来への着火剤になれればいいーーそんな切なる想いが「Too oLD To KNoW」「ダディ・ダーリン」といった至高のアンセムから滲み出ていて、客席のボルテージを高めながら、この日一番の美しい景色を作り上げていった。
アンコールでは「STAY ON YOU」「島生民」と立て続けた。かたや今年の楽曲、かたや19年前にリリースされた楽曲だが、両曲がシニカルに映し出す日本の現実は変わっていない。そんな世の中でも、G-FREAKは閉塞的なリアリティに抗い続けることを、今一度ライブの最後に残してみせた。そして、アグレッシブでありながらも、おぼつかない一人ひとりの足取りを支えるように歌うG-FREAKの音楽は、聴き手にとってこれからも現実を乗り越えていく一助になってくれるはずだ。
最後の1曲は「Sunny Island Story」。この島国で生まれ、友の手を取り、らしさを失わず懸命に生きていくーーそれだけのシンプルで、それでいて複雑な生き様を守るために、G-FREAKは歌い続けてきた。どことなく「Dandy Lion」とも通ずるテーマ性だからこそ、バンドとして今改めて歌いたい曲が「Sunny Island Story」だったのかもしれない。彼らの王道であるレゲエビートから増していく疾走感、エモーショナルなギターソロを日比谷の夜に響かせ、〈胸に Just One Rasta Boy〉を何度も観客の心の声と共にリピートしながら、アニバーサリーライブは美しく幕を閉じた。
悲惨な出来事が起きる世の中でも戦い続ける決意を掲げながら、10年後、20年後に少しでも平和な世界が訪れていることを信じて、未来に可能性を繋げるようなライブとなった、この日の野音。だが、もしそれが実現できた時、こうしたライブのような居場所を全国的に繋ぎ止めてきたバンドの1つが、G-FREAK FACTORYであることを忘れてはならない。その意味でも、東日本大震災や『GUNMA ROCK FESTIVAL』立ち上げの時もきっとそうだったように、今の時代にバンドである意味を彼ら自身が強く感じているはずだ。
不安な夜は、またG-FREAKのライブで集えればいい。そして、〈生きてるって証のその声〉(「Too oLD To KNoW」)を届け合えたら、これ以上に最高なことはない。怒涛のステージから、希望の粒をたくさん受け取ることができた素晴らしいライブだった。