渋谷慶一郎が挑んだ『ホリック xxxHOLiC』での音楽的実験 制作エピソードと共に伝える、劇場での新たな音響体験

渋谷慶一郎が挑んだ『ホリック』での音楽的実験

 CLAMPの大ヒットコミックにして、初めて実写化された『ホリック xxxHOLiC』。蜷川実花がメガホンを取った本作は、個性豊かなキャラクター達を神木隆之介、柴咲コウら豪華キャストが演じていることでも話題だ。

 本作のサウンドトラックを担当したのは、蜷川とも交流のある渋谷慶一郎。昨年、『ミッドナイトスワン』で数多くの映画音楽賞を受賞し、作品自体はもちろんその中で生きる登場人物の心情を音楽を通して伝えきった。そんな多くの人の記憶に残る作品を彩った渋谷が、今回『xxxHOLiC』ではどのような思いで向き合ったのか。日本映画に向けての挑戦も込められたサントラを丁寧に紐解いていく。(編集部)

渋谷慶一郎と『xxxHOLiC』が通じる部分

ーー蜷川実花監督の映画『ホリック xxxHOLiC』(以下『xxxHOLiC』)のサントラを渋谷さんが担当すると聞いて、ちょっと驚いたところもあったのですが、どういう経緯で担当することになったのでしょう?

渋谷慶一郎(以下、渋谷):蜷川さんとは、10年前ぐらいから仲が良かったんです。写真を撮影してもらったりしたこともあるんだけど、ガッチリ一緒に仕事をするみたいな機会はなぜかこれまでなかったんです。「いつか、やろう」みたいなことは話していたんですけど、結局やってなくて、今回初めてやることになったという。あと、今回の映画のプロデューサー、松竹の池田史嗣さんが映画『ミッドナイトスワン』(2020年)を観て、「すごく音楽が良かったから、渋谷さんに頼んでみたら?」と、蜷川さんに言ってくれたみたいで。

ーー『ミッドナイトスワン』の音楽を気に入って?

渋谷:そうです。で、あれはピアノだけだったから、結果的にこういうものが出てくるとは、多分そのときはまったく思ってなかったはずです(笑)。

ーーピアノを主体とした『ミッドナイトスワン』のサントラは、とても素晴らしいものでしたが、今回のサントラは打って変わって電子音楽が主体となっています。それはどういう判断だったのでしょう?

渋谷:蜷川さんの映画では『ヘルタースケルター』(2012年)の印象が強いんですけど、あの映画はラヴェルの「ボレロ」みたいな構造なんです。ずっと同じようなことが起き続けて、その円が徐々に大きくなり最後に爆発するみたいな。基本に反復があって、それがずれたり爆発したりするという。だから実は、すごくミニマルな人だと思ってて、絵作りが派手だからあまり気づかれてないけど(笑)。なので音楽もアコースティックで「映画に寄り添う」とかではなく、もっとミニマムでミニマルな方向に振り切ったほうがいいのにと、その後の蜷川さんの映画を観るたびに実は思っていました。

ーー色彩も含めて、ある意味、非日常の世界を描いた作品が多い監督というイメージがあります。

渋谷:日常とか心情を描いた映画ではないですよね。で、今回『xxxHOLiC』の依頼を受けて、ラッシュの映像とかを見せてもらったとき、やっぱりアコースティックな要素はいらないなって思ったんですよね。ピアノの音とかが出てくると、観る人のアテンションがどうしてもそっちに行ってしまうし、役者の心情と重ねて聴いてしまう。そうではなくて、むしろ逆の方向に振り切ったほうがいいというか、完全に人工的な世界観で仕上げたほうがいいと思ったんです。あと、『ミッドナイトスワン』以降、電子的なものよりピアノのオファーが多くなっていたから、今回はフレッシュな感覚で電子音楽の作品を作りたいという気持ちもあったんです。

映画『ホリック xxxHOLiC』60秒本予告 4月29日(金・祝)全国公開!

ーー電子音楽のアルバムとしては、初音ミク主演のオペラ『THE END』を収録した『ATAK020 THE END』以来、約9年ぶりになるようですが、『xxxHOLiC』の原作自体は以前からご存知だったんですか?

渋谷:実は漫画を読むのがすごく苦手で、縦に読んだらいいのか横に読んだらいいのかわからなくなってしまうという(笑)。だから、原作の世界観はネットでかなり調べたし、映画に付随する部分は読みましたけど、全巻読み切りました、とかではないです。ただ、知り過ぎるのもあまり良くないなと。知り過ぎると、どうしてもそこに寄せて行く感じになって異化しづらくなることがある。それは一番良くないなと思って。

ーーなるほど。最初はちょっと意外だったのですが、原作の世界観に触れてみると、ある種“境界領域”を描いた作品でもあって。渋谷さんがこれまで『アンドロイド・オペラ』など、さまざまな形で表現してきたテーマとどこか通じるところがあるように思いました。

渋谷:昔、蜷川さんに写真を撮ってもらったとき、「渋谷君は眼の奥に闇があるのがいいんだよね」と言われたことがあって、ちょっと人聞きの悪い話なんだけど(笑)。闇とは相性がいいというか、近しい関係があるのかなという気はします。あと、僕の女性のファンで『xxxHOLiC』を好きな方がすごく多いみたいで、「まさか、渋谷さんが音楽をやるなんて!」っていう喜びのメッセージがたくさん来たので通じるところはあるんでしょうね。自分では全く意識してなかったけど。

【公式】渋谷慶一郎 /Keiichiro Shibuya「ATAK025 xxxHOLiC 」(映画『ホリック xxxHOLiC 』サントラ試聴版)

ーー電子音楽でやることを決めてから、具体的には、どんなふうに作業を進めていったのでしょう?

渋谷:蜷川さんのほうから特にオーダーみたいなものはなかったんですけど、脚本の分析は事前にやりました。映画音楽って、僕の場合はあえてオペラ的に作ることが多いのでまず主人公や重要な概念に対してライトモチーフを作っていくんです。今回だったら、神木隆之介さん演じる四月一日君尋のテーマがあって、柴咲コウさん演じる壱原侑子のテーマがあって。それが物語の展開に合わせて、重なったり離れたりするんだけど、コードというかキーの関係性としてはCメジャーとCマイナーになっているから表裏、真逆だけど近いというような。そうやって、登場人物のライトモチーフ的なテーマを作って、それを組み合わせていくという。オペラでそれをやるのは古臭いんですけど、映画でやるのは脚本を助けるという意味で効果的だったりします。スクリーンの中で起きる全ての情報をリアルタイムで理解することは不可能だけど、このメロディは他のシーンでも聴いたような気がする、みたいに映画を観ながら、目では見えない伏線が出来たり。映画音楽を作るときはすでに映画は完成していて、編集も終わっていることが多い。だから出来ているものに対して「ここはこうした方がいいと思う」とは言えないんです。なので、脚本の弱い部分や整合性に対してもメスを入れるように冷静に分析して、音楽で補強するという作業もします。

ーーなるほど。

渋谷:それはメロディだけではなく、ノイズとかに関しても同じなんです。例えば空洞や空虚を表すノイズが、一見関係ないけど同じマインドのシーンに現れたりする。僕の場合は、そういう作り方なんです。なので事前の設計がすごく大事というか、その作業にすごく時間が掛かるんです。それをやらないと、結局映像とか物語の雰囲気に音楽をつけるだけになっちゃうからBGMにしかならない。だから、『ミッドナイトスワン』も実はそういう作り方で。まったく違うシーンで流れるテーマが、ひとつのシーンで同時に流れて重なることによって同化するとか。あと、楽譜を後ろから読んで弾いたりとか。

ーーほとんど現代音楽のような……。

渋谷:割と使えることがあるんです。学生の頃に、アルバン・ベルクの室内協奏曲のスコアを買って分析したりしてたんですけど、あるページで左右のページで楽譜が鏡像というか左右対称にになっていたりする。聴いてて全ての時間が面白いかというとそうでもないんだけど、設計とか構造によってエモーションだけでは作れない音楽が作れることはありますよね。音楽を作る方にも聴く方にもエモーションの発動はあるけど、そこに全く別に設計された構造が挟まることで、聴いたことはないけどなぜか心が動くみたいなことが起きる。それは面白いと思います。これはドレミの構造だけじゃなくて音響とかノイズにも言えることですけど。映画音楽を作るときは、結構そういうことを考えていますね。

ーーなるほど。悲しいシーンに悲しい音楽をつける……いわゆる“ベタ”な感じの音楽ではない。

渋谷:ベタなのは、大嫌いなので(笑)。ただ、そういうベタな形式美が好きだっていう人が結構いて。形式美が好きな人と、形式を壊したりミックスするのが好きな人がいる。僕は完全に後者です。

ーーただ、日本のドラマや映画の監督には、そういうベタなものを好む人が多いような印象もあります。

渋谷:多いですね。あと、日本映画の世界ではなぜか録音部の人が偉いことが多くて、音楽より全然偉い(笑)。台詞に近いからなのかな? 効果音が音楽より優先されることが多いんです。グラスの音とか足音とかが音楽よりも全然大きかったりして、足音なんか「どんな大巨人が歩いてくるんだ?」というくらい大きいことがある。これは脚本の台詞を効果音で補強するっていうことだと思うけど、総合的に見るとやや歪というか親切すぎるんですね。テレビの下に字幕が出るのに近い。逆に日本以外の映画を観ると、どこまでが効果音で、どこからが音楽なのか境界は曖昧です。グラスを置いた音がトリガーになって弦のシーケンスが始まったりとか。今回も最初は効果音が活躍し過ぎていたので、そこは抑えてもらって音楽とのバランスは極力取るようにしました。効果音と音楽というのは、本当はもっと近くにあるべきだと思うし、音楽家の耳を持った人が効果音もやるともっと豊かなものが出来るのではとも思います。それで今回は、サウンドアーティストのevalaくんに『xxxHOLiC』の世界観の中ですごく重要な“アヤカシ”の音をつけてもらったりしたんですけど、これも最初は効果音の一部だったのを「そうじゃなくて」と提案して実現したんです。

ーーそれはどういう発想だったんですか?

渋谷:『xxxHOLiC』の世界における“アヤカシ”というのは、目に見えない人間の邪念みたいなものを表しているんです。evalaくんとはもう20年ぐらいの付き合いだし、何度も仕事をしているんですけど、彼は最近『インビジブル・シネマ』という、「目に見えない、音だけの映画」という作品を作っていて。だから、映画の中の人には見えない“アヤカシ”の音を作ってもらうのはちょうどいいなと思ってお願いしたんです。僕が音楽的な部分をやって、“アヤカシ”の部分は彼がやって。そうやって2本の柱が同時に走っているような作り方は面白いんじゃないかと思ったんです。だから、彼にはあらかじめ映画一本分の映像データを全部渡して、そこに“アヤカシ”の音を先に作って貼ってもらい、その上に僕が音楽を乗せていくような作り方をしました。これだと”アヤカシ”の単独性が維持されるというか、音楽に回収されないノイズとして存在できるから映画の中の意図通りになると思ったんです。

evala(Photo by Susumu Kunisaki)

ーーかなり面白い作り方ですよね。あと、今回の独特な音色についてもお聞きしたいです。

渋谷:今回のサントラは、全部ソフトシンセとアナログシンセで作っていて、生のオーケストラとかピアノはまったく使っていません。今回の作業に取り掛かる前に、Native Instrumentsっていうソフトの最新版をダウンロードしたら、フィールドレコーディング系のノイズジェネレーターとかオーケストラとノイズの中間みたいなものが作れたり、ボイスシンセみたいなソフトの音の情報量が途轍もなくレベルアップして嬉々として使い倒しました。あと、Moog Oneっていうアナログシンセを買ったんですけど、楽器としての完成度と音の密度と情報量がすごくて、これも使い倒しました。なので、その2つをどう組み合わせるかというのが、実はこのサントラの裏テーマにもなっていて。

ーーMoog Oneの音色の揺らぎみたいなものは、結構クセになりますよね。

渋谷:なりますね。あと、音が伸びたりするんですよ。伸びながら変化していく。あれは、デジタルのシンセではうまく出せない感じというか、Moog OneはMoogが30年ぶりにリニューアルされたフラグシップモデルですが、ほとんどオルガンとかチェンバロとかに近い完成度のアナログシンセだと思いました。

ーー劇中で何度かリフレインされる『xxxHOLiC』のテーマもMoog Oneの音色が基調になっている。

渋谷:そうです。あと、Moog Oneは、ほとんどの場合、MIDIで打ち込むのではなく手弾きでレコーディングして必要があればタイミングを直したりしました。その緊張感とかズレみたいなもの、もちろんあとで補正するときもあるけど、ワンテイクで絶対録るんだっていう、演奏の緊張感をシミュレーションしたかった。そういうものが入っているデジタルミュージックは意外と少ないから、そこは意識してやりましたね。

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