戸川純、ポップアイコンとして果たしてきた使命 社会の歪みを射抜いた痛烈な批評眼と表現力
そこからの戸川の表現者としての破壊力は凄まじかった。ゲルニカ以上にアイロニカルな歌世界はもはや揶揄を伴った社会批評というほかなく、戸川が“演じる”ことによって社会にどのように対峙、提言しようとしていたのかに激烈に気づかされる。この秋にアナログレコードで再発された2作品『玉姫様』(戸川純名義。オリジナルは1984年1月25日発売)、ライブアルバム『裏玉姫』(戸川純とヤプーズ名義。オリジナルは1984年4月25日発売)を例にとってみよう。いずれも<YEN>(細野晴臣と高橋幸宏によってアルファレコード内に設立されたレーベル。1982年~85年にかけて稼働)から発売されたこの2枚は、ソロ第1作と(名義はやや異なれど)2作目にあたるが、例えば、『玉姫様』のタイトル曲における戸川の歌詞はある種の伝達崩壊を伝えているかのよう。一見すると、「月に一度の女性の神秘の現象」を歌っている歌詞だが、〈もう何も見えない もう聞こえない/あなたの話が理解できない〉というくだりからは、意思の疎通ができなくなっている状況を表現しているようにも読める。それは、個人主義に拍車がかかっていく80~90年代以降の社会の歪みを予見しているかのようだ。そこからは、「戦後」が希薄になっていく中で、肥大化する一方の人間のエゴイズムへの痛烈な批判が感じられはしないだろうか。
そもそも、トンボのシルエットを人(自分)の影に重ねたジャケットが象徴的だ。「蛹化の女」「憂悶の戯画」「昆虫軍」(ハルメンズ「昆虫群」のカバー)の歌詞のように、虫に人間の生態や行動、思考を当てはめていくような言葉の表現には、自戒……とまでは言わないものの、人間などしょせんは虫同様に宇宙の中ではちっぽけな存在であることを伝えんとする、欺瞞への批評が見え隠れする。サウンド面では、細野晴臣作曲の「玉姫様」が一足先にイギリスでデビューしていたThe Slitsを思わせるいびつなエレクトリックファンクだったり、一方でフランツ・ヴュルナーやヨハン・パッヘルベルを改題したクラシック調、はたまたアンデス民謡を独自にアレンジしたものなど多様だが、歌詞はいずれも一定の批評眼をまとっているのがいい。
1984年2月のラフォーレミュージアム原宿でのパフォーマンスを収めた『裏玉姫』(当初はカセットテープでのみ発売)は、泉水敏郎、中原信雄、比賀江隆男、立川芳雄、里美智子といったヤプーズの面々の演奏が際立つライブ盤。かなりパンキッシュで挑発的なステージを披露しているが、不思議なことに人間が何かを攻撃しているようにはあまり聞こえない。「人間=昆虫」というアングルから聴いてみると、まるで巣を突っつかれた虫たちが暴れ騒いでいるかのようだ。
かつて、戸川純はトンボにもなり、巫女にもなり、幼稚園児にもなり……とライブで、CMで、グラビアで自ら様々なキャラクターに変容した。だがそれは、「エキセントリック」な「不思議ちゃん」のなせる技などではなく、しっかりとテーマを設けて自己プロデュースした演出、演技の賜物だった。そして、その先にあったのは人間……少なくともこの後やってくるバブル景気で浮かれ、その崩壊とともに先行きを見失っていく日本人の未来への警鐘だったと言ってもいい。社会の映し鏡であるポップアイコンになることの意味とその使命を、演劇での表現に端に発した戸川純はちゃんと理解、自覚していたのである。
■リリース情報
戸川 純『玉姫様』発売中
Original release:1984/1/25
・完全生産限定盤
・2021年ニューカッティング
・クリアレッドヴァイナル(透明赤)仕様
・封入特典:特製ステッカー
Side A
1. 怒濤の恋愛
2. 諦念プシガンガ
3. 昆虫軍
4. 憂悶の戯画
5. 隣りの印度人
Side B
1. 玉姫様
2. 森の人々
3. 踊れない
4. 蛹化の女
戸川 純とヤプーズ『裏玉姫』発売中
Original release:1984/4/25
・完全生産限定盤
・2021年ニューカッティング
・クリアピンクヴァイナル(透明ピンク)仕様
・封入特典:特製ステッカー
Side A 1. OVERTURE
2. 玉姫様
3. ベビーラヴ
4. 踊れない
5. 涙のメカニズム
Side B
1. 電車でGO
2. ロマンス娘
3. 隣りの印度人
4. 昆虫軍
5. パンク蛹化の女