戸川純、ポップアイコンとして果たしてきた使命 社会の歪みを射抜いた痛烈な批評眼と表現力

戸川純、ポップアイコンとしての使命

 イギリスの月刊音楽誌『WIRE』の目下の最新号(454号)に戸川純のインタビュー記事がかなり大きく掲載されている。「Blow Up Yr Idols」というタイトルの横に、白い服に白いコサージュのような花をつけた黒髪、そしてヤプーズのナンバープレートである「Y-108」をつけた戸川純。そう、これは2019年の芸能活動40周年記念の際に撮影された写真の一つだ。2019年は13年ぶりにヤプーズとして復活、8月に渋谷クラブクアトロで新編成でライブを行い、12月にはアルバム『ヤプーズの不審な行動 令和元年』を発表した(翌2020年1月にもリリース記念ライブを開催している)。その後、新型コロナウイルスによる世界的パンデミックによって“中断”されてしまったが、近年の戸川純が、レジェンドという扱いを吹き飛ばすほどに、勢力的に活動していることは誰の目にも明らかなことと言っていい。なお、現在のヤプーズには、2019年に急逝したギタリスト、石塚“BERA”伯広の後任として加入したヤマジカズヒデ(dip、uminecosoundsほか)も在籍している。

 筆者も2018年の暮れに大阪の味園ユニバースでギターウルフ主催のイベントに足を運び、そこで「戸川階段」(戸川、非常階段のJOJO広重、ナスカ・カーの中屋浩市)としてのステージに現れた彼女を久々に観ている。ほぼ椅子に座ったままだったとはいえ、広重、中屋がノイズをぶちまける中、ただ一点のみを強く凝視したように声を発する、芯のあるシャープなパフォーマンスには改めて打ちのめされた。と同時に、それはシンガーとしてなんらおかしなところなどない、それどころか極めて豊かな描写力、表現力で歌に向かう横顔を伝えるものでもあった。80年代初頭、デビューしてきたばかりの戸川純は、確かに“エキセントリック”“カルト”といった、まるで奇異なモノへ一定の距離をとるかのように紹介されることが多かっただろう。だが、当時から戸川は誰に媚びることもなく、ミュージシャンとして自分の表現を貫いているだけのことだった。マドンナが、シンディ・ローパーが、ビョークが、PJハーヴェイが、レディー・ガガが、そしてビリー・アイリッシュがそうやって自己表現をポップミュージックへと帰結させてきたように。

 最初からそんな海外基準の表現力を持っていた戸川純が、ここにきてワールドワイドで再び高く評価されるようになったのは全く不思議なことではない。実際に彼女の代表曲「好き好き大好き」(1985年発表の同名アルバムに収録)は今年2021年にTikTok経由でヨーロッパや東南アジアなどにおいて大きなバズを起こしている。それに伴い、アルファミュージックの公式YouTubeチャンネルが10月下旬に「好き好き大好き」の当時のMVを公開。公開からわずか1カ月の間に視聴回数100万回近くをカウントしているが、そのコメント欄の多くが海外からの賞賛の声なのも興味深い。また、彼女自身もポップミュージックの歴史の中に自分の存在が置かれていることを理解しているようで、前述の『WIRE』の記事では、自分がビョークに似ていると指摘されたことに対し、素直に「嬉しい」と語り、その自分の個性を冷静に分析している。上野耕路、太田螢一とのユニット、ゲルニカのシンガーとして1982年にデビューした頃から、その飄々とした愛らしさから「不思議ちゃん」などと(愛情を込めて)喩えられることも多かった戸川だが、ゲルニカは非常に皮肉めいたバンドだったと述懐するなど、決して本能で暴発していたわけではなく、本人は渦中にいる自分をコントロールしていたことが、この記事の中でも確認できるのだ。戸川純は「不思議ちゃん」どころか、最初からかなりクレバーに自己演出のできる「プロデューサー」だった。もちろん、そんな賢者たる側面もまたマドンナ、ビョーク、ビリー・アイリッシュに至るまでのポップアイコンに共通する聡明さを浮き彫りにする。

戸川純 - 好き好き大好き (Official Music Video)

 そんな戸川純の媚びない表現と、自分をしっかり制御させながらプロデュースするスタイルが実現できていたのは、本人も認めているように、もともとが役者だった事実に拠るところが大きい。実は筆者は高校生の頃……そう、80年代半ば頃だったか、たまたま再放送で観ていたテレビドラマの冒頭クレジットに彼女の名前を見つけて驚いたことがある。その頃にはもう戸川はテレビや雑誌にも多く登場するようになっていて、“おしりだって、洗ってほしい”のキャッチコピーが話題となったTOTO「ウォシュレット」のCM出演でも注目を集めていたが、ゲルニカとしてデビューする前、1981年の秋クールで放送されていた山田太一脚本によるテレビドラマ『想い出づくり。』(TBS系)に、チョイ役どころかその他大勢として一瞬画面に映ったのだ。役柄は、詐欺に遭って抗議におしかける女性たちの一人(クレジット上は“娘たち”)。割とハッキリと顔が出ていたのですぐ気づいたものの、役名もなく、明確なセリフもなく、役者としては全く本意ではなかったかもしれないが、小さな頃から劇団に入り演劇の道を志していた黎明期の戸川純の姿が確かにそこにあった。「シアトリカル」なんて陳腐な言い方では全く適さない、戸川の情緒豊かな歌は、何かに成りきる/何かを演じることによって表出される「自分ではない誰か」が形成させたものに他ならないのではないか。それは「プロデューサー・戸川純」が「表現者/シンガー・戸川純」を自ら演じるようコントロールさせた結果なのではないか、と、今にしてそう思う。

 だから、そんな戸川のミュージシャンとしての出発点が、まるで『上海バンスキング』の吉田日出子のように、音楽劇/オペレッタにおける女優のごとき歌い手に徹したゲルニカだったのはとても自然だったのではないかと思う。だが、自分を自分で動かす強烈なプロデュース力が発揮されるのは、ソロに転じてから、あるいはヤプーズとしてライブを始めるようになってからだった。上野耕路が作曲・編曲を、太田螢一が作詞を担当していたゲルニカとは違い、ソロ名義やヤプーズ名義では戸川は自分の歌いたい言葉は自分で制作するようになっている。つまり作詞家として、制作者目線で戸川純に「歌わせたい」ことをしっかり実践するようになっているのだ。

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