FIVE NEW OLDが歩んだ15年「やっぱりひとりじゃできなかった」 貫き続ける願いと血肉化したスタイル

2010年に神戸で結成されたFIVE NEW OLDが今年、結成15周年を迎えた。洒脱で心地好いポップミュージックを奏でるこのバンドがもともとはポップパンク/エモを日本で表現することを目指してスタートしたという事実は、今彼らが鳴らしている音楽からは一見わからないかもしれないが、以下のインタビューを読めば、バンドを始めた時の思いや願いは、今も変わらずに彼らのなかに流れていることがわかるだろう。そんなバンドの歩みをまとめた初のベストアルバム『FiNO is』には、15年を経てたどり着いたFIVE NEW OLDの“今”が詰まっている。特にライブの定番曲をアップデートした再録曲を聴くと、積み重ねてきた歴史の先でFIVE NEW OLDという“スタイル”がたしかに血肉化していることがはっきりと伝わってくる。アルバムの最後に収められた「Takes Two」(SixTONESへの提供曲)のセルフカバーを含めて、変化のなかでブレずに貫いてきたものを感じてほしい。(小川智宏)
国内の音楽シーンの“空洞”をスタート地点に
――15年前にバンドを組んだ当初、FIVE NEW OLDはどういうビジョンをもってスタートした感じだったんですか?
HIROSHI(Vo/Gt):ちょうどその頃、メロディックパンクとかラウドがバンド界隈のムーブメントみたいになっていて。でも、ポップパンクとかエモとかは隣接しているけれど、あまり国内でそれをやるアーティストがいなくて、ずっと空洞になっていたんです。だからそれをわかってくれるような「いいよね!」「楽しいよね!」と思ってくれる仲間を増やしたいという思いが、バンド活動をする前からずっとあって。その思いで僕自身は曲を書いていたし、そこの共通項がHAYATOともあったから、「バンドをやりたい」と言ってもらえたのかなって思っていて。「まわりの人はまだ気づいてないけど、めっちゃおもしろいんだよ」というような、いわゆるキュレーター的な感覚は今もずっと変わらずあるんですけど、その感覚が強かった気がします。
HAYATO(Dr):あの時は、2000年初期のいわゆるポップパンクのシーンを再現しているバンドが日本にはそういなかったんですけど、僕のなかでは「できるんじゃないか」っていう希望と目標のようなものを持って始めましたね。現にそういう音楽をやりたい人たちが僕らの世代には多かったんですけど、でも本質的にはできていないっていう。だから、すごく注目していただいて。結成して1年後にはアルバムを出させてもらったので、世のなかに出るのはわりと早かったなって思いますね。
WATARU(Key/Gt):僕からすると、バンドというのは基本的に同世代でやるものだという認識でずっと活動していて。「どうやってバンドってやっていくんやろ?」という、未知なゾーンみたいな部分もあったので、最初しばらくはずっと敬語で喋ってました(笑)。そこからツアーの道中とかでいろいろ喋りながら、「もう敬語ええで」と言ってもらって、普通に喋れるようになるんですけど。そうやって今までの自分たちが思っていたバンド活動よりももっと広い視野を持って活動できるのが、FIVE NEW OLDでしたね。
――HIROSHIさんとしては、FIVE NEW OLDを始めてわりとすぐに手応えは感じたんですか?
HIROSHI:そうですね。やりたかったことがすぐに叶っちゃった、みたいなのは結構あって。自分が好きだったアーティストと一緒にやらせてもらったりとか、夢だったアーティストと何回もツアーをまわらせてもらうとか、そういう意味ではやりたいことはすぐ叶った感じはありました。と同時に、若かったし、今よりも尖っていたのもあると思うんですけど、「仲間を集めたい」と言いながら、いざ同じものが好きな人たちと出会った時に、目指しているものの熱量の違いにがっかりしたりとか、「そんな気持ちでやってるのか」とか、勝手にこっちが相手に期待してがっかりしてるだけなのにフラストレーションを抱えたりとかして。意外と求めていたものと違ったかもしれないとか、そういうことを感じていたかもしれないですね。

――始まりはもちろんポップパンクやエモだったかもしれないけど、そのあとFIVE NEW OLDの音楽はどんどんトランスフォームして、自由になっていきましたよね。そうやって音楽性が変わっても、FIVE NEW OLDとして目指すもの、伝えたいことの核は変わらなかった?
HIROSHI:最初に言ったような、自分がこんなにわくわくしているものがほかの人に伝わらないのはおかしいというような感覚は、ずっと変わらずあって。それを分かち合いたいっていうのは、僕の行動原理根本的なものではありますね。今回再録されている「Hole」っていう曲は、2015年ぐらいにできたんです。もともと会場限定シングルのB面に入れる予定の曲だったんですけど、えも言われぬ説得力みたいなものをなんか曲から感じて。「これじゃない?」みたいな。でも、その時は方向転換する感覚もないというか。だから、「こっちじゃない?」という感覚ではなかったんです。舵を切ったとも思っていなかった。行動原理としては一緒だから、あまり自覚はなかったんです。
HAYATO:もともとA面、B面という言い方で言うと、A面の曲が僕はすごく好きだったんです。すごくガッツのある曲で、当時はFall Out Boyとかを意識していたんですけど、それに引けを取らないような曲だと思っていたので。でも、そんな僕ですら「Hole」ができてレコーディングした時に「こっちじゃない?」となりました。一歩先に行ける曲を書くのに頭を抱えていた部分もあった時に「Hole」ができて、ポップパンクじゃないかもしれないけど、「こんな舵の取り方があるんだ」っていう。HIROSHIは「その時はわからなかった」と言ってましたけど、僕は「そういう舵の取り方があるのか」「バンドってこうやって変わっていくのか」って思ってました。
バンドの運命と自由の概念を変えた「Hole」

――WATARUさんはどうでした?
WATARU:この時もずっと一緒に曲作ってたので、「すごく唐突なものが出てきた」っていう感覚はあまりなくて。曲ができた時も、「これいいよね」ということをバンドでやりたいっていう思いだけだったから。だから、方向転換した感覚はそんなになかった。この当時に表現したかったことが「Hole」のなかには結構詰まっていたと思うので。
――実際、そこでジャンルにとらわれなくなっていったことによって、精神性みたいな部分で自由になった感じはあったんじゃないですか?
HIROSHI:うーん、どうだったんですかね? でも、自分で自分を縛り続けてた感じもあったので。パンクバンドだったFIVE NEW OLDと、サウンドが変わったFIVE NEW OLDをどう両立していくのか、という。バンド名を変えたり、メンバーが変わって新しいプロジェクトとして始まったり、そういうものではなかったので、「どうやって自分たちの音楽をひとつにまとめればいいんだろう?」みたいな。当時からメンバーには「みんなで作ってHIROSHIが歌ったらFIVE NEW OLDになるよ」っていうのはずっと言われてきたんですけど、そこで悩み続けたのはありますね。ただ、それぐらいの時期にSuchmosが出てきたりとか、たまたま友人を介していろんな人に出会ったりとか、そういう渦のなかに片足を突っ込んでいた感じはしていて。そういう場所――たとえば当時のシティポップのサーキットイベントとかに呼ばれるようになったのは、「Hole」がきっかけだったのかなって。

――そこから2017年にメジャーデビューするところまで、傍目にはトントン拍子だった感じもするんですけれど。
HIROSHI:ちょうどそれぐらいの時期にSHUNくんと出会って。初めてメンバー以外の人と曲を作るということをやったんです。その時は、SHUNくんはアレンジャーとして一緒にやったんですけど。僕もメジャーデビューで肩肘も張っていたし、悩みましたね。でも、メンバーもSHUNくんも、すごく根気強く僕から何かが出てくるまで待ってくれたのは、すごくありがたかった。でも、前のベースのYOSHIAKIがそのタイミングで辞めちゃったので、結構辛かったかな。まわりからは「メジャーデビューおめでとう!」と言われるけど、内情としては、足並みがいちばん大事なタイミングで揃わない感じになってしまって。嬉しさと同じぐらいの物量で「俺たちは音楽の神さまに『プロとしてはやっていけないぞ』って言われてるのかな」と。だけど、それを乗り越えてSHUNくんがベーシストとして一緒に歩んでくれるようになって、そのくらいの時期からもう、FIVE NEW OLDは自分たちだけのものじゃないなっていう感覚がすごくあります。
――SHUNさんはメンバーになる以前からバンドに関わっていたわけですけど、外から見た時にFIVE NEW OLDというバンドはどう映っていました?
SHUN(Ba):僕は前に札幌で別のバンドもやっていて、その時に出会ったGRe4N BOYZのHIDEさんに「これからはこういうバンドをやったほうがいいよ」って紹介してもらったのがFIVE NEW OLDだったんです。その時に見せてもらったMVが、たしか「Hole」で。たまたまその時に所属していたバンドのレコード会社の担当の方がFIVE NEW OLDをやるということで、ライブをHIDEさんと一緒に観に行って。「すごいね」なんて言っていたら、気づいたら入ってた、みたいな(笑)。そもそもいいなと思っていたバンドなので、そこに自分が携われるということは嬉しかったですし、「一緒にやれるならやってみたいな」と思わせてくれるようなバンドでしたね。
――実際に一緒に曲を作っていくようになってからは?
SHUN:印象はそこまでは大きくは変わらないかな。でも、最初はお互いにどう作っていったらいいかわからないというか。メジャーデビュー曲で意気込んで空回りしてしまう経験は自分にもあったので、デビュー曲の「By Your Side」を一緒に作った時の「できた」という関係値がベーシックにあるので、そこから変わらずに今も続いている気がします。
