砂原良徳×白根賢一が語る、高橋幸宏の凄み すべてがデザインされたスタイリッシュなドラミング

砂原良徳×白根賢一:高橋幸宏対談

 ソロアーティストとして、プロデューサーとして、また、YMOやサディスティック・ミカ・バンド、THE BEATNIKS、METAFIVEなど様々なバンドやユニットでも活躍し続けている日本音楽界のリビング・レジェンド、高橋幸宏。

 そんな彼のソロ、およびプロデューサーとしての足跡をたどるアルバムが、2枚組コンピレーション『GRAND ESPOIR(グラン・エスポワール)』としてリリースされた。CD版のディスク1には1980年から1985年のソロ作から厳選した楽曲を、ディスク2には高橋幸宏が他のアーティストに提供した曲やプロデュース作品をコンパイル。特にディスク2の、外部の仕事をまとめる試みは初めてのことで、近年ますます再評価の声が高まるRAJIEやSUSANなど、いわゆる“通好み”のアーティストはもちろん、ピンク・レディーのような時代を紡いだアイドルなど、実に多様な仕事をしていたことに驚かされる。

 選曲とマスタリングはMETAFIVEのメンバーとして高橋と活動を共にする、音楽界随一の“幸宏フリーク”、砂原良徳が担当。そんな砂原と、同じく高橋に多大な影響を受けたことを公言し、今夏の『FUJI ROCK FESTIVAL』ではMETAFIVEのサポートメンバーとして高橋の代役を務めたGREAT 3のドラマー、白根賢一が、お互いの「幸宏愛」を存分に語り合う対談が実現した。(美馬亜貴子)

幸宏さんが好きなものはだいたいわかる

白根賢一(以下、白根):僕が最初に幸宏さんに関わったのは、2011年のTHE BEATNIKSのツアーだったんですけど、その時は、とうとうここまできたんだ! という気持ちで、正直浮かれてました(笑)。でも、ご一緒すればするほどに自分との違いに気づいて落ち込んじゃうんですよね(笑)。作品の数も違うし、元々の資質も違う。改めて80年代の作品を聴くと、(幸宏さんは)この時期は寝てないだろうなと思うぐらい充実していて、全部が重要なアルバムばかりで。知れば知るほど遠い存在です。

白根賢一

砂原良徳(以下、砂原):僕は、最初、90年代に1回レコーディングかなんかに呼んでもらったことがあるんですけど、そのときはやっぱり白根さんと一緒でただ浮かれて終わったっていう(笑)。その後、2014年ぐらいからMETAFIVEで一緒にやるようになって、色々見るようになるわけですけど、幸宏さんの作品って、他に一緒に演奏する人とか、マニピュレーター、エンジニアなどいろんな人が関わってますよね。で、その全ての仕事がCDとかレコードとか映像作品になってるわけですけど、どこでどうなってこうなってるのかな? って疑問に思ってた部分が、かなりの部分、幸宏さん本人から出てきてることに気づくわけです。だったら、周りにいる人間として、こうすると幸宏さんがやりやすいだろうなとか、考えて、先回りして自分でやるようになったかなって気はします。「これはダメかな」とか「これは好きだろうな」とか。曲とかアレンジとか演出とかも含めて。

ーー実際に接してみて感じた、幸宏さんのすごさというのは?

砂原:人が見てないところでものすごい努力して、というのはもちろんないわけではないと思うんですけど、あんまりそういう場を見ることはないですね。それと、いつも言うこととかやることに統一感があります。

砂原良徳

白根:それはありますね。リハテープとか聴くと幸宏さんはこういう音は好きじゃないだろうなというのはわかります。でも自分の好みとか、音や、シンセのブレについて、ほとんどメンバーの人には言わない。

砂原:そうですね。METAFIVEの時はああしよう、こうしようって言うよりも、みんな幸宏さんが何が好きかがわかってるから、そこに合わせにいってる感じ。少なくとも自分はそうだったかな。あと、幸宏さんの弾くシンセの音色をエディットする時も、だいたいこういうのが好きってわかるから。幸宏さんは一言「こういう感じで」というようなことしか言わないんですけど、「あの時のあれ」って言われると「その時のこれ」を出せるんです。幸宏さんの昔のものをいろいろ聴いてきてるわけですから、だいたいわかる。

白根:うんうん(深くうなずく)。

ーー今年の『フジロック』では、病気療養のために出演できなくなった幸宏さんに代わって、白根さんがMETAFIVEのドラムを務めましたね。大役でしたけど、最初にMETAFIVEで叩いてくれと言われた時、どう思いましたか?

白根:嬉しかったんですけど、最初は「幸宏さんの代わりなんて無理です」と言ったと思います。でもおっしゃっていただけるなら是非、と。

ーー砂原さんが声を掛けたんですか? それとも、幸宏さんが直々に?

砂原:これは幸宏さんですね。体調のことがあってできないってなった時に、白根さんの名前が最初に出た。

白根:ご本人の代わりは絶対に務まらないので、はなから期待しないでくれとは言ったし、ドラムを始めたきっかけが幸宏さんではあるんだけど、ファン目線で見れば、幸宏さんの代わりはスティーブ・ジャンセン(※元ジャパンのドラマー。YMO時代に知り合った高橋幸宏の盟友。今なお深い交流が続いている)だったら納得してもらえるだろうけど、僕がやったらどう思うかなってことが気になっちゃって。

ーー砂原さんは一緒にプレイしてみて、いかがでしたか?

砂原:白根さんとはTHE BEATNIKSのツアーで一緒だったし、幸宏さんの60歳の記念ライブにも参加していたし、電気グルーヴ時代は同じレーベルで先輩(GREAT3の前身前進バンド・ロッテンハッツ)でしたから、どういうドラムを叩くかっていうのはわかってて。幸宏さんと同じじゃないっていうのはもちろんわかってるし、それで言うとスティーブ・ジャンセンもデビッド・パーマー(※元ABCのドラマー。YMOの83年のツアーに参加するため、ABCを脱退してきたエピソードが有名)も同じじゃないし、同じである必要もない。幸宏さんのDNAというかスピリットがあることの方が重要なのかなって思います。

ーーそのDNAとかスピリットって、具体的には何なんでしょう?

砂原:何なんだろうねぇ……。

白根:まず、音色がいちいち素晴らしいっていうか、何の曲が何の音だっていうのがわかる。

ーー音が自分の血肉になってるということですね。

砂原:そういうマナーみたいなのはありますよね。言葉にして表現するのはちょっと難しいんだけど、演奏してて「そうだよね」って納得するところがある。

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