小西康陽、野宮真貴、高浪慶太郎視点で巡るピチカート・ファイヴの音楽体験 時代の空気を吸い込んだ唯一無二のポップワールド

三者三様の視点で振り返るピチカート・ファイヴ

 渋谷系を代表するグループ、ピチカート・ファイヴの周辺がにわかに騒がしくなり始めている。今年から突如“配信向けのピチカート・ファイヴ”と称したシリーズを開始。9月22日に第1弾である『配信向けのピチカート・ファイヴ その1 高浪慶太郎の巻』が各種音楽配信サービスで展開された。

 そして、10月20日には同シリーズの第2弾『配信向けのピチカート・ファイヴ その2 小西康陽の巻』をリリース。11月17日には今年デビュー40周年を迎える野宮真貴の名前を冠した第3弾の『配信向けのピチカート・ファイヴ その3 野宮の巻』を発表し、同月24日には“配信向け”シリーズの楽曲群からさらに厳選し、高音質にリマスターしたCD2枚組のコンピレーションアルバム『高音質のピチカート・ファイヴ』の発売も決定した。加えて、11月27日には7インチ・レコードのリリースも予定されており、とにかくピチカート・ファイヴの過去音源が、再び続々と世の中に溢れ始めているのだ。彼らのことを昔から知るファンは、こういった状況に思わずニヤリとするかもしれない。なんといっても息もつかせぬほどのリリース量こそが、全盛時の彼らの専売特許だったからだ。

 ピチカート・ファイヴについて語るには、ある程度その歴史を整理しておいたほうが良いだろう。1984年に結成された当初は、小西康陽、高浪慶太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子の4人。細野晴臣のノンスタンダード・レーベルから2枚の12インチ・シングルをリリース後、CBSソニーに移籍。1987年の1stアルバム『couples』発表後に鴨宮と佐々木が脱退し、オリジナル・ラヴの田島貴男が加入して3人体制となった。このメンバーで『Bellissima!』(1988年)、『女王陛下のピチカート・ファイヴ』(1989年)、『月面軟着陸』(1990年)という傑作を生み出したが、あくまでも音楽マニア向けという印象が強かったことは確かで、いわゆるヒット曲はない。

 そして田島が脱退し、野宮真貴をボーカルに招くタイミングで日本コロムビアに移籍。1991年から怒涛のリリースが始まるのだ。「スウィート・ソウル・レヴュー」(1993年)や「東京は夜の七時」(1993年)をヒットさせた後の1994年に、今度は高浪が脱退。小西と野宮の2人体制で変わらず精力的に活動を続けるが、2001年についに解散を発表した。コロムビア期のオリジナル・フル・アルバムは『女性上位時代』(1991年)から『さ・え・ら ジャポン』(2001年)まで8枚あるが、シングル、ミニ・アルバム、リミックス、アナログなどを含めると膨大な音源が残されている。

 今回の“配信向けのピチカート・ファイヴ”シリーズを始めとするプロジェクトは、コロムビア期の1991年から2001年までの音源に特化したもの。それも、どちらかというと通好みの楽曲やレアトラックがメインとなっているので、中級から上級者向けといた印象だ。この期間に彼らがいかに濃密な音楽制作を行っていたのかがよく分かる内容となっているが、もしもピチカート・ファイヴのことをよく知らないという方は、事前に2019年にリリースされているベスト・アルバム『THE BAND OF 20TH CENTURY : Nippon Columbia Years 1991-2001』を聴いておいたほうがいいかもしれない。

 第1弾の『配信向けのピチカート・ファイヴ その1 高浪慶太郎の巻』は、1991年から1993年の音源からセレクトされている。こうやって高浪が書いた曲だけを並べることで、彼の個性が浮き彫りになっている。デビュー当初からのイメージだと、彼はピチカートの中では正統派路線というか、王道ポップス的な楽曲を書くソングライターという印象だった。しかし、キッチュな「ブリジット・バルドー T.N.T.」やアンビエント・ダブといった雰囲気の「Tokyo’s coolest sound」、クールな「ショック療法」など多様な作風だったことを思い知らされる。しかし彼の本質は、やはりスタンダードなメロディメイカーであることだ。前述のバラエティ豊かな楽曲の中にもキャッチーな一節が必ず織り込まれているし、真正面からソングライティング力を見せつけた「ファンキー・ラヴ・チャイルド」、「皆既日食」、「愛の神話」などはその真骨頂といえるだろう。どこかノスタルジックで切ない旋律は、野宮真貴のストレートな声によく似合うのだ。

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