銀杏BOYZ、先の見えない時代に唯一信じられるもの 「少年少女」に至るまで、峯田和伸が描いてきた“願いと希望”
『ねえみんな大好きだよ』が帯びていたリアリティ
7月21日にリリースされた銀杏BOYZのニューシングル『少年少女』がとても素晴らしかった。何度も聴き込んで、感動を深めている。いや、銀杏BOYZは以前からとても素敵な楽曲を送り出しているし、2020年にリリースされた6年ぶりのフルアルバム『ねえみんな大好きだよ』は、同年の数ある音楽作品のなかでも傑作のひとつであると考えている。今回は、同アルバムなども絡めながら『少年少女』の良さを紐解いていきたい。
『ねえみんな大好きだよ』で興味深かったのは、生死という題材を背景に、「こんな世の中で自分は一体何を信じればいいのか」を問い直させてくれたところだ。この「何を信じるか」が、『ねえみんな大好きだよ』から『少年少女』に至るまでの重要なテーマであると感じている。
『ねえみんな大好きだよ』では、「DO YOU LIKE ME」で〈I PRAY FOR YOU〉、「大人全滅」で〈ぼくはしんじない〉、「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」は〈神様に背をむけようか〉、「いちごの唄 long long cake mix」では〈メタモルフォーゼ〉など、神様、祈り、信仰、神話などに関するワードを散りばめることで、「では自分は何を信じるべきなのか」と考えさせた。峯田和伸にインタビューしたとき、その点について「自分のなかで東日本大震災が起因しているかもしれない」との答えがかえってきた。
「東日本大震災のとき、どのテレビ局も一斉に速報の映像を流していましたよね。東京もお台場で煙が出ていて。もう人間がどうしたって何も変えられない状況で、ただ見ているしかなかった。そうしたら時間が経つにつれて、さらに想像を超えた映像がどんどん流れてきて。ああいうときって、手を合わせたり、『神様お願いだからもうやめて』とか考えたりして。それまで遠かった神様みたいな存在が近くなるというか。信仰を持つ人は常にそれを感じていると思いますが、そうじゃない人にとっては、普段は何かに祈ったりしない。でもああいう瞬間になると、そういうものにすがるしかない気がします」(『GOOD ROCKS! Vol.108』)
コロナ禍、私たちの身や生活に安心安全なんかない。誰もが死の瀬戸際に立っている。そんな現実が重なったためか、生死について歌われた各曲には異様なリアリティが帯びていた(もちろんそこには、後述する盟友・オナニーマシーンのイノマーさんの死も影響があっただろう)。政治はアテにできない。あれだけ連呼されていた「絆」という言葉も、人と会うことが憚られる世の中ではやはり信頼が置けないものだった。筆者自身、コロナ禍で映画館、ライブハウスなどを幾度も取材し、関係者が直面する辛さに何度も触れていた時期だった。同アルバムを聴きながら、「この苦境のなかで、何を(誰を)信じたらいいのだろう」という思いが反すうした。答えは今も出ていない。
信じられるものを発見できる喜び
6月17日には、アルバム収録曲「GOD SAVE THE わーるど」のミュージックビデオが公開された。このMVは、ひと気のない夜、4人の女性たちがPARCOに乗り込み、店内で自由気ままに振る舞う内容だ。特に印象的だったのは、4人が店内のディスプレイに落書きをする場面。どこからともなくギャラリーが集まり、警備員(又吉直樹)がやって来ても、彼女たちはお構いなしに描き続ける。同曲のタイトルのように、4人が築きあげた世界が、誰にも侵されないよう神様に守られているみたいだった。さらにその場面では、〈すべてのことが起こりますように〉と壮大な願いが込められた歌詞が重なる。
だが、ストーリーが進むにつれて、彼女たちは夢の世界から現実へ引き戻されていく。みんなの行方がバラバラになり、店内も突然暗くなって何も見えなくなる。まるで希望や未来の光が絶たれたかのようになり、観ているこちらまで寂しくなった。でもラストで、のん演じる主人公がレコードショップでRamonesのレコードを聴いて笑みを浮かべる姿があり、救われた気分になった。このラストシーンはまさに峯田自身を投影している(服装然り)。峯田は10代の頃に好きになったパンクロックをずっと信じ続けて、ここまで生きてきた。このシーンは、かつての峯田がそうだったように「自分にとって信じられるものを発見できる喜び」に溢れている。その喜びこそ、先行きが見えなくなったなか、何とか希望に結びつくものではないかと思わせた。
余談だが、4人がPARCOに入る前、ちゃんと手指消毒を行う描写もおもしろかった。私たちは今、どこへ入るにも消毒液を手指に揉み込む。それが日常となっている。手指消毒液はコロナ感染を予防できる可能性がある。そういう意味では、今の世の中で「信用できるもの」なのかもしれない。信じているからこそ、無意識にその作業を実行できる。彼女たちが当然のように消毒液をシュッとやる姿は、多かれ少なかれ、それが信じられるものであることを象徴している(と好き勝手に想像して楽しんだ)。