女王蜂にとって“炎”は何の象徴なのか? 「強火」で描かれる『炎炎ノ消防隊 参ノ章』のもうひとりの主人公

女王蜂が新曲「強火」をリリースした。アニメ『炎炎ノ消防隊 参ノ章』(MBS/TBS系ほか)第1クールオープニングテーマであり、これまでの女王蜂の楽曲に繰り返し刻まれてきた“火”のイメージが再び奏でられている楽曲である。曲の始まりを告げるアコースティックギターの深く艶やかな響きをはじめ、全体的に静けさを感じさせながらも、そこに絡み合う性急なブレイクビーツは、まるでどんな悲しみや痛みの最中にあっても鳴り続ける心音のように響く。最後の日がやってくるその瞬間まで、止まることなく蠢き続ける命の奔流をイメージさせる楽曲である。
曲のなかで、アヴちゃんはこう問いかける。〈なにもなかった?〉。なにもなかった人なんていないのだ、きっと。それでも世界は“なにもなかった”ことにして進んでいこうとする。「強火」は、なにもなかったことにできない、したくない、そんな人のための曲である。曲のタイトルは「強火」だが、“強さ”はそもそも持っているものでなく、「強く在りたい」という願いとして歌われる。〈ああ胸に火を前に/ふり投げろさあ毎日砕け〉――そう歌うこの曲のなかで、火は過去ではなく未来に向けて掲げられる。今年リリースされたアルバム『悪』の1曲目「紫」で、アヴちゃんは〈どんな酷いことも起こり得るよ〉と歌った。それは極めて冷静でリアルな未来観である。未来には、どんなことだって起こりえるのだ。それでも――いや、だからこそ、女王蜂は日々を気高く超えていくための“火”を歌う。
これまでも“火”や“炎”といったモチーフは、女王蜂の楽曲において生きることの無常さと、それでも湧き上がる猛き生命力の象徴として描かれ続けてきた。たとえば、2019年に発表された「火炎」。この曲でアヴちゃんは〈Party is over〉と歌い出す。すべては終わる。あるいはもうすでに終わってしまった、たくさんのこと。しかし、あなたは何度でも火を灯す。曲のなかで“生”を見つめるアヴちゃんの視線は極めてシリアスだが、アヴちゃんは、そのシリアスさにただ浸るだけの怠慢は許さない。アヴちゃんは纏わりつく暗闇を蹴散らすように力強く歌う――〈Give me fire/Light it up Baby 燃やしちゃうぜ yeah〉。「火炎」において、炎は“再生”の象徴でもある。
あるいは、2011年リリースのアルバム『魔女狩り』に収録された「火の鳥」は、曲のタイトルこそ“永遠の生命”や“再生”をイメージさせるが、描かれているのは、むしろ刹那的で官能的な炎の姿である。燃え上がる炎の奥に、悲しみが透けて見える。ほかにも、2012年リリースのアルバム『孔雀』に収録された「燃える海」などは、歌詞には火も炎も海も出てこないにもかかわらず、この切なく静謐な物語を綴った曲に「燃える海」と名付けたところに、アヴちゃんの人生を見つめる眼差しがあると言えるだろう。生きることは、ある意味では、火の海を歩き続けるようなことなのだ、と。「燃える海」では〈明日あなたが居なくなってもあたしは生きてくわ〉と歌われる。その孤独を受け入れる凛とした強さは、今も超然とした強さを持って響く。だが、新曲「強火」で歌われる〈終わりより始まりの側に来て〉というフレーズの持つ、弱さも脆さも隠さない柔らかな表情もまた、今の女王蜂が持つ強さなのだ。