Honda「VEZEL」CMソングでも脚光、藤井風の全方位の凄さ 規格外の才能がいよいよメインストリームへ

 藤井風の音楽についてはYaffleとの共同作業によるサウンドメイクの斬新さなどいくつかの論点が考えられるが、特に注目したいのがメロディに対する言葉の当て方である。前述した「黒人音楽と歌謡性の融合を感じさせる歌いまわし」というのは、「日本語の響きやそこに含まれる意味としてのニュアンスを損なうことなくメロディを流麗に聴かせる」ことに他ならない。それを自然にやりこなすことがすなわち「歌唱力がある」ということになるわけだが、藤井風は楽曲の設計段階からそれを実現するための組み立てを行っているように思える。

 たとえば「きらり」における〈きらり〉〈さらり〉〈ほろり〉〈ゆらり〉の使い方は、日本語の持つ美しさを体現する擬態語がダンスビートとともに彼の歌声で放たれることで曲の情景が一気に広がることを計算しつくした構造になっている。また、『HELP EVER HURT NEVER』のラスト曲「帰ろう」のサビ頭に配された〈ああ〉は手前の〈忘れないから〉〈分からないまま〉の〈から〉〈まま〉と母音をそろえて滑らかさを出しつつ、その裏では開放感のある展開をセットすることでサビにおける大胆な場面転換をより効果的に演出している。

 短い言葉を「音」として捉えてメロディと組み合わせつつ、そこにリリカルな意味合いまで持たせる。「西洋のメロディに日本語をいかに乗せるか」というのは日本のポップミュージックにおいて長年課せられてきた問いであり、最近で言えばOfficial髭男dism「Pretender」の〈痛いや いやでも 甘いな いやいや〉の流れがそれに対する1つの模範解答だったように思えるが、藤井風もその観点において日本語で歌われるポップスの質を何段階も高める存在として今後名を連ねていくことは間違いないだろう。

 もっとも、こういった点に藤井風がどこまで「意識的」かは不明である。岡山弁ネイティブ、かつ英語も流暢に使いこなす彼にとって、言葉を音として扱ってメロディに乗せるというのはあまりにも当たり前なことなのかもしれない。音楽として高度に構築されていながらそのキャラクターも含めてどこか野性的な雰囲気も醸し出す彼のアウトプットは、多くの分析的な言葉に「野暮」のラベルを貼っていく。やはり結局は外から語れば語るほど嫉妬し、絶望し、そして最終的に感服してしまうわけだが、そんなリスナーとしての心の変容を同時代に体験できることを素直に喜びたいと思う。

(※1)https://www.tbsradio.jp/462902

■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題になり、2013年春から外部媒体への寄稿を開始。著書に『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)がある。Twitter(@regista13:https://twitter.com/regista13)

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