Lucky Kilimanjaro 熊木幸丸が追求する、刹那的な音楽に内包されるリアリティ

ラッキリ熊木が追求するリアリティ

 Lucky Kilimanjaroの2ndフルアルバム『DAILY BOP』は、肉体的で躍動感のあるダンスアルバムであると同時に、朝から夜へと流れる1日のバイオリズムを描いたコンセプトアルバムでもある。反復しながらも微細に変化を繰り返していくダンスミュージックの快楽性と、ルーティンを繰り返しているようで同じ日は二度とは来ない日常の一回性。そんな、ダンスミュージックと我々が生きる日常の共通項を捉えたアルバム……そうやって本作を語ることは、いささか妄想に過ぎるだろうか? しかしながら、以前から「世界中の毎日をおどらせる」というキャッチフレーズを掲げてきたLucky Kilimanjaroにとって「ダンス」と「日常」は常に密接に結び付いてきたのだ。本作『DAILY BOP』は、これまでどちらかというと観念的に「踊る」という言葉を掲げてきたLucky Kilimanjaroが、より具体的、肉体的な意味での「踊る」という行為にダイレクトに迫ろうとした1作である。それは結果として、変わり続けていく我々の生活の繊細なきらめきを、見事に捉えるものとなった。

 そしてまた本作は、「2020年」という、新型コロナウイルスの影響によって多くのものが失われ、変化した時代を生きたひとりの人間の思考のドキュメントでもある。 Hey! Say! JUMPやDISH//にも楽曲提供をするソングライターの熊木幸丸の本質にある、時代と自己を深く見据える誠実で不器用で優しい眼差しが、このアルバムに、「時代」と「個」の狭間にある緊張感と、確かな体温を宿している。熊木幸丸に、アルバムのことをじっくりと語ってもらった。(天野史彬)

“祈り”ではなく、“動く音楽”を作りたかった

Lucky Kilimanjaro 熊木幸丸
Lucky Kilimanjaro 熊木幸丸

ーー新作『DAILY BOP』を聴かせていただいて感じたことが、大きくふたつあって。まずひとつは、今まで以上にリズムにフォーカスが当たっている作品だなということ。それによって今まで以上に、ダンスミュージックとしてのフィジカルな強度を獲得しているなと。もうひとつは、本作は恐らくアルバムの1曲目から最後までを通して、「朝から夜」という1日のバイオリズムを表現しようとしたコンセプトアルバムなのではないかと。

熊木:まさに今言っていただいたことは、自分でも意識していました。まずリズムに関していうと、前作『!magination』を届けたあと、「ダンスミュージックといっている割には、リズム以外の音が強いアルバムだったな」と自分で思ったんです。あのアルバムはリズムやグルーヴで聴かせるというよりは、もっと音が広いというか、空間的に描写していく部分が多くて、「かっこいいけど、ちょっと頭でっかちだったかな」と思ったんですよね。なので、「次はもっと純粋に踊れるものにしたいな」と漠然と考えていました。

ーーなるほど。アルバム全体の流れに関しては?

熊木:新型コロナウイルスの影響が大きいですね。去年の3月くらいから、「自分は今どんなふうにお客さんを助けることができるのか?」と、自分の曲の在り方を問い直す時間が増え、結果として、こういう状況だからこそ、もっとみんなの日々の中で生きるような音楽を作らなければいけないと思ったんです。そういうところから、アルバム全体として「朝から夜へ」という流れを作ってみようと思いました。結果として、音楽的にもっと踊らせるアルバムにしたいということと、みんなが1日の中で気持ちよくなれるタイミングを増やせるような音楽を作りたいということ。このふたつの考えが合わさって、「日常を感じさせながら、ちゃんと踊れるアルバムにしよう」という構想ができました。

ーー今は、クラブやフェスで集まって踊ることも難しい状況ではありますよね。そういう状況の中でも、肉体的に踊れる音楽は人々に必要とされるという確信が、熊木さんのなかにはあったわけですよね、きっと。

熊木:そうですね。自分は日常的にそういう音楽を気持ちよく聴いているし、むしろ僕は「今だからこそ必要だろう」と思って、今回、改めてダンスミュージックに向き合った部分もあると思います。今のような状況だと、どうしても人は祈りたくなると思うんですよ。きっと、今年出る音楽作品には、祈りの音楽が増えるんじゃないかと思う。もちろん、祈ることは大事なことだし、それが人の癒しになっている感覚もある。僕自身、「光はわたしのなか」はそういう感覚で作った曲でもあるし。

ーーあの曲には本当に、「祈り」という表現はしっくりきます。

熊木:でも、祈ってばかりもいられないというか。こういう状況だからこそ、新しいことにコミットしていかなければいけないという感覚も自分にはあるんです。そう考えたとき、なにかをグルーヴして動かしていくことは、ダンスミュージックにこそできることだと思ったんですよね。そういう意味でも、今だからこそダンスミュージックという「動く音楽」を作りたかったんです。祈りの音楽は、きっと僕ら以外のミュージシャンが作ってくれると思うんです。でも、祈ったあとに、「よし、やろう」と思えるような音楽、そんな「動く音楽」は、僕らだからこそできることだなと思ったんですよね。

ーー「光はわたしのなか」はボーナストラック扱いですけど、それ以外に、去年リリースされたシングル曲「太陽」、「エモめの夏」、「夜とシンセサイザー」が本作には収録されています。これらの楽曲にもコロナ禍の影響はあったといえますか?

熊木:「太陽」と「エモめの夏」に関しては、直接的にコロナの影響があったわけではなく、この2曲は、時期的にコロナの情報は出てきていたけど、まだ世の中がこんな状況になるとは思っていなかった頃に制作した曲なんです。なので、どちらかというと『!magination』の反動から「できるだけシンプルな頭で踊らせたい」という感覚がなによりも大きくてできた2曲です。

ーーなるほど。「踊れる音楽」といってもいろいろありますけど、熊木さんのなかでリファレンスとして大きかったものはありますか?

熊木:いろいろあるんですけど、自分にとってひとつ大きかったのは、ケイトラナダですね。あのJ・ディラ的というか、ヒップホップのビートを介したハウスビートというものが自分にしっくりきていて、ああいうビートをやってみようと思ったのが、「エモめの夏」の最初のポイントだったんです。結果として、もうちょっとバウンス感は収まった音になったんですけどね。ただ、そうやってリズムについて探求していく中で、リズムの解釈の仕方も変わってきたんですよ。単純に「ワン、ツー、スリー、フォー」と数えるんじゃなくて、キックの始まりから終わりまでのカーブの長さをどうするのか? とか、音量のカーブの長さをどうするのか? みたいなところまで考えるようになってきました。あと大きかったのは、去年くらいから歌を習うようになったんです。そこで、「歌も、最終的には声でリズムを作っていくものなんだ」と学んで。

ーービートが刻むリズムだけではなくて、歌のリズムにも自覚的になった?

熊木:そうなんです。今までの僕の歌の感覚はカラオケ的というか、音程があって、長さがあって、というくらいの認識しかなかったんですよ。でも、今僕に歌を教えてくださっているのが長く歌ってきた方なので、ジャズにおける歌のリズム感とか、そういうこともいろいろ学んでいくようになり、結果として、頭をどれくらいのカーブで歌うのか、といった微細な表現にも自覚的になってきたんですよね。歌においてもリズムの違いがあるし、それによって生まれるグルーヴの変化があるんだと知った。音を楽譜として見ないで、「空気の流れ」として見ることを意識し始めたというか。そういうことを通して、自分の楽器や表現に対する捉え方そのものも変わった感覚がありました。

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