ビリー・アイリッシュが見せた、世界の惨状と明るい未来への可能性 幻想と現実を行き来した初オンラインライブ

ビリー・アイリッシュが見せた、世界の惨状と明るい未来への可能性 幻想と現実を行き来した初オンラインライブ

 すべてに意味を持たせること。一挙手一投足に全世界の注目が集まる次世代のポップアイコンであるビリー・アイリッシュは、自身の置かれた状況に非常に自覚的であり、客観視しているようである。だからこそ漫然とセレブリティとしての地位を食いつぶさない。置かれた場所で最善の咲き方を試みる。

 新型コロナウイルスの流行により音楽業界が長いトンネルに入ってからしばらく経った。配信ライブはもはや珍しいものでもない。ライブハウスから中継をつないだり、過去の映像作品を改めて上映してみたりと、それぞれが思考錯誤の日々だ。そんな中で満を持してストリーミングライブを敢行したビリーの目的は、大きく分けて3つある。1つはファンとのコミュニケーション、次に配信というスタイルでしか見られないパフォーマンスを提供すること、そして最も顕著に表れていたのが、若者の関心を米国大統領選へ導くことだ。

ビリー・アイリッシュ

 ライブを観ていて印象的だったのがMCの多さだ。そう感じたのは、日本に住む以上、ビリーのワンマンライブの様子をノーカットで観る機会は少なく、フェスや授賞式などのごく短い持ち時間のライブ映像を目にすることの方が圧倒的に多いからかもしれない。我々にとっては、彼女のショウがどのように運んでいくのかを実際に体験出来るという意味でも貴重だったと言える。詳しくは後述するが、緻密な計算のもと創り上げられフィックスされた各楽曲の世界観は、歌い終わったビリーの軽快な口調をもってして、いとも簡単に手放されてしまう。完全に“スクリーンの中の人”――古い言い方をすれば“ブラウン管の中”だろうか? とにかく生身のヒトではないような――と化している時の彼女と、MCで見せたInstagramのストーリーそのままの彼女のギャップは、ファンとの間に一線を引くことを拒否しているように思えた。

 「私(たち)、生きてるよ」という言葉も、シリアスなものというよりは連絡を怠っていた友人へ不意に送信するメッセージのように響く。ライブ終盤、「すごい(時間が過ぎるのが)速いね。みんなに早く会えることを願ってる。どれだけ恋しいか伝えたい」と口にしたのも本心からだろう。ヒット曲の多いビリーのライブでは、本人の声がかき消されるほど大音量のシンガロングが沸き起こるため、オーディエンスへの飢えも切実ではないだろうか。MCのなかでは「私たち(実兄のフィニアスを指して)はアルバムを作ってる」とこぼす場面もあり、期待が高まった。

 ファンと同じ地平にいることを感じながらも、ライブ本編は汗の匂いと熱気がたちこめるような生々しいものではなかった。終始はりめぐらされていた左右・中央・底面の四方を使った巨大LEDスクリーンと最先端のXR技術による立体的な演出によって、ライブは一つの音楽番組の様相を呈していた。例えば、1曲目に披露された「bury a friend」での、明滅する真っ白なスクリーンを裂いて不気味に伸び上がるモンスターの影。その影はビリーの足元から育っている。綿密なリハーサルを重ね、立ち位置を確認してからでないと成立しないはずだ。感情や衝動のまま動き回るには制約が多い。

ビリー・アイリッシュ
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 続く「you should see me in a crown」で背後に出現した黒い蜘蛛は、曲に合わせて膨れ上がり、ビリーの体すれすれに長い足を突き刺す。「xanny」では白いベンチのセットに腰掛けながら歌い、MVを再現してみせた。「i love you」では一面に広がる星空の真ん中にビリーとフィニアスが取り残され、「ilomilo」では海底に場面が移る。すべての楽曲がコンセプチュアルに飾り付けられているため、画面の前で踊るよりも、目まぐるしく姿を変える箱庭を、余すことなく堪能するために息をひそめる方が優先される。こうした手法は、観客の目線がステージよりも低くなる平時のライブではなかなか楽しめない。臨場感のレプリカを供給するよりも、一度きりの体験をプレゼントしようというのは、ビリーだけでなく彼女のチームの思いでもあったのではないだろうか。

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