カーリー・レイ・ジェプセンがポップミュージックにおいて“最も愛される存在”に至るまで その奇妙なキャリアと作家性に迫る
カーリー・レイ・ジェプセンは「ロサンゼルス」に馴染んでこなかったポップアーティストだ。この場合の「ロサンゼルス」とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州の大都市であり、きらびやかなショービズ業界を表す概念でもある。つまるところ、「LAのポップミュージックの世界には属していない」と自称する彼女の立場は、テイラー・スウィフトやレディー・ガガといったメガポップスターとは異なるところにある。しかしながら、2010年代も終わるころ、米国のメディアが驚きをもって報じたトピックがある。ジェプシーズと呼ばれるカーリーのファン軍団は、それこそテイラーやガガのファンダムと引けをとらないほどの存在感と熱気を放っていたのだ。4thアルバム『Dedicated』がリリースされた2019年、この現象を取材したTIME誌は彼女をこう呼んでいる。「ポップミュージックにおいて最も愛される負け犬」。
この二つ名を読み解くには、彼女の奇妙なキャリアと作家性を追う必要がある。1985年、カナダに生まれたカーリーは、離婚した両親の家を行き来するなか「愛」という概念の考察、それにもとづくクリエイションに夢中になっていき、9歳のころより楽曲制作を開始。20代後半となった2012年、楽曲「Call Me Maybe」が世界的メガヒットを記録したことで「ロサンゼルス」の仲間入りを果たす。しかしながら、その世界を満喫したとは言い難い。「最初に引っ越したときは、ちょっと『不思議な国のアリス』みたいな気分だった。「Call Me Maybe」が出て、なにもかもが変わって、周りの人はみんな威圧的で」。後年、このように語った彼女がロサンゼルスで学んだことは「ロサンゼルスっぽいプロデューサー」を避けるキャリア形成だったという。音楽表現においても、この街はいわくつきのモチーフとして機能している。2015年にリリースされた3rdアルバム『E•MO•TION』に収録された「LA Hallucinations」は「ロサンゼルス」にやってきてお金を得てしまったゆえに変わってしまった男性への想い、翻せば物質主義が色濃い同都市への批判的心情を歌う曲だ。近作『Dedicated』においても、「Right Words Wrong Time」にて〈LAの渋滞は嫌い〉という歌詞が出てくる。
「Call Me Maybe」の二番煎じを求める業界の声に応えなかったカーリーは、同作がBillboard HOT100の頂点にのぼりつめた2012年よりあと、同チャートのトップ10入り楽曲をひとつも出していない。これが「負け犬」の称号の主要因だ。ポップミュージックに疎い世間一般からしてみれば、彼女は「Call Me Maybe」の一発屋、ということになる。しかしながら、彼女のファン軍団ジェプシーズは、時とともに強大になり続けていった。とくに、ブラッド・オレンジことデヴ・ハインズらを迎え入れてシンガーソングライターとしての評価を確立させた前出『E•MO•TION』以降、オンライン・ファンダム文化を象徴する集団としての地位を獲得している。NPRが評したように、カーリー・レイ・ジェプセンは、チャートトップに君臨しつづけなくとも音楽界随一のファンベースを確立できると証明したアーティストにほかならない。だからこそ「ポップで最も愛される」存在として語られるのだ。
ファンダムを覗くと、作家性も見えてくる。ジェプシーズの特色は、ゲイの人々を筆頭としたクィアコミュニティとの深いコネクションだ。このことに関して頻出する考察は2点ある。1つ目は、カーリー当人も推測にあげた「赤裸々で大胆な感情表現」。実際の感情を100倍エスカレートさせないと楽曲に自信が持てない、と明かす彼女は「成人がアピールするには滑稽」と言われかねない恋の衝動を表現しつづけてきた。「Call Me Maybe」からして、「幼稚な興奮」というテーマのもと、一目惚れで高揚する気持ちを歌うバブルガムポップだ。30代となった2019年から2020年にかけてリリースされた連作『Dedicated』と『Dedicated Side B』にしても、献身と愛をテーマにしており、恋の情動に身を捧げる様が描かれる。〈生まれつき夢見がちな私 今だって同じよ 生きるのは明日か昨日のため〉(「Fake Mona Lisa」)。「とてもクールだと思うのは、羞恥心なく“クールじゃない状態”でいること」、これがカーリーの信条なのだ。そして、彼女が描く耽溺や惜しみなき祝福、キッチュネスを歓迎する向きは、異性愛成人文化よりゲイコミュニティにおいて育まれている……というのが、彼女を取材したChris Azzopardiの弁である(参考)。
2つ目にはポップネスなサウンドがくる。恋愛にまつわる感情を描いてきた彼女の楽曲には、苦悩や喪失、痛みを扱っていたとしても、どこかポジティビティや希望を感じさせる「サッドバンガー」(悲しみ・切なさを歌いながらも踊れる楽曲)が多い。たとえば、『E•MO•TION』に収録された「Boy Problems」について、Rolling Stone誌はこう書いた。「ポップミュージックの歴史において、カーリーは〈今日私はボーイフレンドと別れたんだと思う、本当にどうでもいい〉というラインを敵意も涙も無しに歌える唯一の人物かもしれない」。熱心なジェプシーズとして知られる人気ドラァグクイーンのアクエリアは、クィアコミュニティにおけるカーリー人気の理由を簡潔に言い表している。「彼女はリアルで人間的なことを語るんだけど、それが義務的じゃないし、比喩に行きすぎることもない。正真正銘のポップミュージック。彼女の音楽は現実逃避の感を帯びていて、尚かつポジティブで楽しい。これこそ、世界中のクィアや阻害される人々が共振して、幸福と一体感を見出す理由だと思う」。人生の痛みをパワーにつなげる表現が盛んとされるクィアカルチャーのスピリットとカーリーの作品群に親和性があることは、『Dedicated』閉幕を飾るセルフケアアンセム「Party For One」のミュージックビデオを見ればわかるだろう。