レディー・ガガ史上最も素直で、ポップで、痛みと愛に満ちたアルバムーー『Chromatica』の構成とともに全容を紐解く
2020年5月29日に発売された、レディー・ガガの第6作目となるオリジナルアルバム『Chromatica』。本作でレディー・ガガは、多くの人々を驚かせることになる。
前作の『Joanne』(2016年)や映画『アリー/スター誕生』(2018年)により、それまでのトリックスター的立ち位置を捨て、オーセンティックなシンガーとしての立ち位置を確立したかのように思えたレディー・ガガが、再び『The Fame』(2008年)から『ARTPOP』(2013年)の時期を彷彿とさせる大胆なビジュアルイメージとダンスミュージックを武器にポップシーンの最前線へと舞い戻ってきたのである。
しかし、一見すると過去の作品に回帰したかのように思える『Chromatica』は、むしろ前作の『Joanne』以上に剥き出しで、パーソナルで、一方でキャリア史上最もポップな作品となっている。その背景について、本作の構成を辿りながら、解説していく。
Chromatica I : "闘いの末にたどり着いた、ここは私のダンスフロア" / 痛みや苦しみの受容
「私の名前はアリスじゃないけれど/ずっと探す 不思議の国を探し続ける (My name isn't Alice. But I'll keep looking, I'll keep looking for Wonderland.)」
冒頭を飾る「Alice」でレディー・ガガは本作全体を貫く90年代を彷彿とさせるハウスビートに乗せ、自身が何かに囚われていることを嘆きながら、DJに対して自分自身を解放するように救いを求める。それに呼応するように、第一幕では先行シングルとなった「Stupid Love」を筆頭に、痛みを感じながらも、ポジティブなダンスミュージックをバックに前向きに現状と戦おうとする楽曲が続く。
事実、本作の制作に入る際、レディー・ガガの状態は決して良いものではなかった。本作に伴うインタビューにおいて、彼女は線維筋痛や後述する精神面の苦痛が悪化しており、それでも自らの中にポジティブな何かを感じたこと、「痛みを感じながらも踊り続け、その痛みを受容する」ことでアルバムを創り上げたと語っている。バラードを一切含まず、全曲ダンスミュージックで構成された本作のサウンドはその痛みに負けないための武器と言えるだろう。
「Rain On Me」はアリアナ・グランデを招き、「降り注いでくるのは/苦しみの雨/降り注いでくる/覚悟はできている どうぞ降って(It's coming down on me./Water like misery. It's coming down on me. I'm ready, rain on me.)」と、痛みや苦しみを不条理に降り注ぐ雨に例え、それでも徹底的に受容する楽曲である。「衝突するのではなく、受容する」というのは両者がキャリアを通して訴えてきたメッセージであり、本楽曲はその集大成とも言えるだろう。衝突して生まれた分断が様々なカオスを生む現代において、このメッセージはより重要なものとなっている。
続く「Free Woman」でレディー・ガガは開放的でポジティブなダンスビートに乗せて「闘いの末にたどり着いた、ここは私のダンスフロア(This is my dancefloor I fought for.)」と勝利を宣言する。男性主義の音楽シーンの中で苦しみながら、痛みを受容しながら、ついに彼女は自由を手にしたのである。
しかし、第一幕を締めくくる「Fun Tonight」はそのタイトルやハッピーなサウンドとは裏腹に非常に不穏な内容となっている。「説明出来ない何かを感じている/きっと今も抱えたままの傷(Feelin' something that I can't explain. / Think it's a wound I still entertain.)」と歌うこの曲で、レディー・ガガは「今夜は楽しんでなんかいない(I'm not havin' fun tonight.)」と繰り返す。
さて、「Alice」の題材となった「不思議の国のアリス」において、主人公のアリスはそれまで旅していた謎の世界が全て夢だったことを知り、現実へと帰っていく。そう、夢はいつか覚める。そして第一幕が終わる。
Chromatica II : "私の最大の敵は自分自身" / 闇を抱える自己との対峙
頑張ってポジティブを装ったとしても、現実から逃避したとしても、内面に抱える闇は決して簡単に消えることはない。受け止めた傷の痕は確かに残っている。第二幕ではそれまで匂わせていた自らの闇がレディー・ガガ自身を蝕み、それに抵抗する様子が描かれていく。Madeonによる重く鋭いビートの中で〈気分の変化が激しすぎる/笑い飛ばして良き友情を保てたら良いのに (My mood's shifting to manic places. / Wish I laughed and kept the good friendships.)〉とパニックに陥りながら抗うつ薬に手を伸ばす「911」、Skrillexによるポップなシンセ使いやボイスサンプルで彩りながら女性ポップスターであることの宿命をプラスチック製の人形に例えて嘆く「Plastic Doll」と、これまで抑えていた闇がトラックメイカーによるブーストを起こしながらとめどなく溢れてくる。
韓国の4人グループ・BLACKPINKを招いた「Sour Candy」は、一聴すると「見た目は刺激が強いかもしれないけれど、中身は甘い」というタイトルのお菓子になぞらえて相手を誘うキャッチーな楽曲に聴こえるが、この流れで聴くと、素直な本来の弱い自分と、それを強さで覆い隠そうとする別の自分が交錯して混乱しているようにも感じられる。その別の自分は、次曲の「Enigma」でその存在をより巨大化させ、レディー・ガガ自身を飲み込んでいく。
「当初はアルバムに入れること自体を拒否した」と本人が語る「Replay」は、本作で最も苦しく、痛ましい楽曲である。「この心に刻まれた傷がリピート再生されている(The scars on my mind are on replay, r-replay, eh-eh)」と繰り返す本楽曲の題材は、2016年に公表した自身が抱えるPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。過去の経験によって引き起こされたこの症状は未だに本人を毎日苦しめており、楽曲では自らを責め続け、パニックに陥る様子が執拗に描かれる。アップリフティングなハウスビートの中で、レディー・ガガの歌声はやがて悲鳴へと変わり、第二幕は幕を閉じる。