Creepy Nuts、楽曲の構造性やラップスキルに注目 「阿婆擦れ」にはRHYMESTERの影響も
「いきなり宣伝かよ」という入り口で申し訳ないのだが、現在、筆者はCreepy Nutsのラッパー・R-指定をメイントーカーに据えた、彼の持つ「日本語ラップを古典化する」という目標を達成するために、その基礎教養となるべき日本語ラップ楽曲やアーティストの分析と解説、そして妄想を開陳するトークショー『Rの異常な愛情 ──或る男の日本語ラップについての妄想──』で、司会進行を務めている。ちなみに次回は6月7日開催です、チケットは毎回完売なのでお早めに……ってさらに宣伝をねじ込む必要はなかったと思うが、それはそれとして、このイベントで常々感じるのは、ラップという表現に対する、筆者のようなライターや批評家という“外側”の感覚と、R-指定のようなプレイヤー側の、“内側”の感覚の大きな隔たりである。
これは彼も参加していた、大阪は梅田駅の歩道橋で行われていた『梅田サイファー』の一員であり、梅田サイファー名義でリリースされたアルバム『Never Get Old』に収録された「マジでハイ」(R-指定, KZ, peko, ふぁんく, KOPERU, KBD, KennyDoes)にも参加した、KZやふぁんく曰く(その発言の載ったテキストはいずれAmebreakにて発表します)、「日本語ラップに関する言説は、アーティストのバックグラウンドやキャリアに多くが割かれ、ラップスキルや構造性の部分は、軽んじられている」と、かいつまんで話せばそのように言っていた。彼らと同じような認識を、R-指定も共有的に持っていることは、『Rの異常な愛情』が回を重ねるたびに、痛いほど思い知らされる。
痛いほど、と感じてしまうのは、たとえば筆者とR-指定が、日本屈指のラップスキルを提示している盤として、共通に認識している作品に随喜と真田2.0『FESTA E MERDA DI TORO』があるのだが、その分析においても、筆者はどうしても作品の持つギャグの部分であったり、「WALK THIS WAY 58」の総勢57人によるマイクリレーであったりという外側の部分を分析してしまう。しかしR-指定の場合は、ライムの置き方であったり、ライミングにおいて母音と子音をどのように接続しているのか、真田人とポチョムキンのラップセンスの違いなど、“同業者だからこそ”の分析を非常に事細かに行う。そこからは、そういった分析をライターや批評家がないがしろにしてきた訳ではないが(そういった分析を行っている人や記事も少なくはない)、比重としてはややもすれば軽んじてると思われてしまっていたような“スキル”の部分を、再評価ではなく、“正しく評価”させようという彼の意思も感じるし、彼のラップスキルというものが、決して天然ではなく、そういった分析や解析に基づいた、非常にロジカルなものだと感じさせられる。