『イマジン:アルティメイト・コレクション』発売記念
ジョン・レノン『イマジン』が今なお絶大な影響力を持つ理由 青木優の10000字ロングレビュー
平等を願い、平和を祈り、反戦メッセージを掲げ、愛を求める男。たしかにジョン・レノンは、そんな側面を持つ人だった。
ただしその一方で、ひどくヤキモチ焼きで、皮肉屋でもあった。怒り心頭に達した時には、目も当てられないほど荒々しくなる。また、戸惑ったり焦ったりした時には、その気持ちを隠そうともせず、そのため周りを困らせる場面もしばしばある。
それでいて真実を求める気持ちを持ち、愛する人への思いも迷いなく表現する男。
ソロでの2作目になるアルバム『イマジン』では、彼の音楽的な才覚と、そんな正直な人間性までが一緒くたになって、あふれ出ている。
あらゆる局面を経ながら稀代の名曲と称されるようになった「イマジン」
このアルバムの話をする前に、まず「イマジン」という曲について触れる必要がある。
Imagine……つまり〈想像してごらん〉とくり返されるバラードである。天国も、地獄も、ない。国なんて、ない。宗教もない。財産(という考え方)もない。ざっくり言えば、地球上に生きる多くの人々が不安に感じるような要素は、元来ことごとく存在しないと考えていいもののはず、というふうに解釈できる歌だ。
とくに盛り上がる箇所があるわけではなく、ジョンはむしろ感情をセーブしながら、とつとつと、静かに唄っている。ピアノをメインにしたサウンドは、じつにシンプルだ。今の密度の高いポップソングに慣れ親しんだリスナーなら、そっけないとか味気ないとか思ってしまうかもしれない。もっとも、そうであるがゆえに、先ほどのようなメッセージ性が際立っている。
この歌についてはジョンの理想主義的な部分が凝縮している感があり、これまでも、それこそ時代を超えながら幾多の批判にさらされてきた。ネット界隈の言い方をするなら「頭ん中どんだけお花畑なんだよ」というところか。
こうした意見については彼自身も曲の中で、自分は“a dreamer”……〈僕を夢想家と思うかもしれない/だけど 僕ひとりじゃないはずさ〉と唄っており、最初から承知の上であった。そして歌は〈いつの日か きみも仲間に加わって/世界はひとつに結ばれる〉と締めくくられる。
ものすごい曲だと思う。そのことは僕個人が、歳を重ねるごとに感じるようになった。
それに見方によっては、このメッセージは現在のポリティカル・コレクトネスに通じるものでもある。
「イマジン」が最初に世に出たのは先ほどの同名のオリジナルアルバムのリリース時となり、それが1971年の秋のこと。アルバムは、アメリカでは9月9日、ジョンの本国イギリスでは10月8日、ここ日本では同月の25日にそれぞれ発売されている。もう47年も前のことだ。そしてシングルとしての「イマジン」はそこからリカットという形でリリースされ、全米チャートで最高3位の大ヒットを記録している。この時ジョンは31歳になっていた。
ただ、楽曲としての「イマジン」が今のようにクローズアップされるようになったのは、1980年12月にジョンが狂信的なファンに銃殺されるというショッキングな出来事があって以降のようだ。この直後に彼の妻であるオノ・ヨーコはニューヨークで追悼集会を開き、その黙とう時に「平和を我等に」を、最後には「イマジン」を流した。
そこからこの40年近くというもの、「イマジン」はさまざまな場面で流され、唄われ、ジョンの代表曲として認知されるとともに、愛と平和の代名詞のような歌となっていったのである。
たとえば2018年平昌オリンピックの開会式において、「イマジン」は韓国のシンガーたちによって唄われている。2012年ロンドンオリンピックの閉会式ではイギリス発の数々の有名曲の中がパフォーマンスされたが、「イマジン」はその中にも選ばれていた。
また、2014年のソチ冬季オリンピックでは、スケートのエキシビションでキム・ヨナが、アヴリル・ラヴィーンがカバーしたバージョンの「イマジン」とともに演技を披露した。
レディー・ガガは第1回ヨーロッパ競技大会の開会式においてピアノで弾き語っているし、ユニセフ(国連児童基金)が世界各地のアーティストがこの曲を唄うキャンペーンを展開したこともある。そこで託されていたのは、やはり平和へのメッセージだった。
2016年にColdplayがライブでカバーした際には、この曲をレパートリーとするエマニュエル・ケリーというイラク生まれの戦争孤児にして障害者(彼もシンガーとして活動)と共演している。人気ドラマの『glee/グリー』では、ろう学校の生徒たちが手話とともに「イマジン」を唄うシーンがあった。
このように国際的な視線が集まる大きなイベント、それも平和を祈り、争いや差別のない、国境も超えた、平等な世界を願う場において、「イマジン」はふさわしい歌とみなされているようだ。
もっとも「イマジン」については、これら以前に、世界中の人々に記憶されているであろう出来事がある。まずは1990年からの湾岸戦争の最中。それから2011年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロの直後。こうしたキナ臭い空気が立ち込めはじめた時期に「イマジン」はことごとく放送禁止の憂き目に遭っているのだ。とくにアメリカではそうした有事に全国のラジオ局にOAを自粛する楽曲リストが作られており、そのたびに「イマジン」の曲名が挙げられている。
理由としては、おそらくはこの歌に込められた反戦のメッセージに、世論を動かすだけのものがあるとみなされているからだろう(そもそもジョンがこの曲を書いた70年代初頭にはベトナム戦争への意識があったはずだ)。つまり、ある向きにとっては、それだけ煙たい存在の曲なのである。そんな「お花畑」とかいうものが、ほかにあるだろうか。
こうした背景があったぶん、9.11から10日後にテロの犠牲者を追悼するチャリティー番組『アメリカ:ア・トリビュート・トゥ・ヒーローズ』でニール・ヤングが「イマジン」を悲しみに満ちた歌声とともに唄ったのには、彼の並々ならぬ覚悟を見る思いがして、胸が熱くなったものだ。なお、この時にはヨーコも「イマジン」の一節を世界各地のビルボードに広告という形で、それも無記名で掲示し、平和の大切さを訴えている。