栗原裕一郎の音楽本レビュー 第13回:『「ビートルズと日本」熱狂の記録』
栗原裕一郎の『「ビートルズと日本」熱狂の記録』評:ビートルズ来日前後を追体験できる“大変な本”
日本におけるビートルズ現象。あの狂乱を、新聞・雑誌・テレビ・ラジオといったマスメディアがいかに報じたかを細大漏らさず調べ上げた本。ただそれだけの本である。
「ただそれだけ」とはいうものの、これは実にしんどい作業である。評者も、本や記事を書くときに似たような調査をしばしばやるのでわがことのようにわかるのだけれど、それはそれは、地味で辛気くさくてゴールの見えない、気が遠くなる作業なのだ。
ビートルズの存在が日本に初めて伝わった1962年4月から、ビートルズ・ブームが収束する1970年12月までの期間における出来事を、マスメディアにおける報道や記事、広告などを1次資料に洗い直し、時系列順に整理している。1962年4月というのは、ビートルズがメジャーデビューする前、ビート・ブラザース名義でバックバンドを務めた、トニー・シェリダン「マイ・ボニー」の日本盤が発売された日である。むろんビートルズもビート・ブラザースも当時はまったくの無名であり何ら注意を払われていなかった。
新聞14紙、週刊誌18誌、音楽誌5誌、その他の記録にあたったという。音楽誌が5誌というのは少ないように思うかも知れないが、洋楽に関しては『ミュージック・ライフ』が寡占状態だった時代だ。ビートルズ情報についても同様で、というより、ビートルズの単独取材に成功し、日本人としては異例の信頼関係をビートルズ・サイドと築いていた星加ルミ子を擁する『ミュージック・ライフ』は他誌の追随を許さなかった。
新聞は、朝日、読売、毎日といった大手はもとよりスポーツ紙まで調べている。本書の発刊イベント対談がシンコーミュージックのサイトに上がっている。それによると、大村は最初、大手新聞を調べていたのだが、ビートルズに関する記事はもっぱらスポーツ紙に載っていたことがわかって調べ上げたそうだ。(参考:http://www.shinko-music.co.jp/beatles50/report160402.html)
スポーツ紙には縮刷版がなく、国会図書館でマイクロフィルムにあたらねばならない。これもやったことのある人ならわかると思うが、フィルムのリールをプロジェクタに装着しクルクル見ていくしかない、のんきだが非常に手間の掛かる作業である。いうまでもないが検索などはできない。ビートルズに関する記述がないか1ページずつ見ていくしかないのだ。「大した内容じゃないし、ま、いいか」とスルーした記事があとで必要になったりしたら、リールを装着し直してまた最初からクルクル、だ。コピーをとるのもちょっと面倒で、まあ、効率や生産性を考えたらとてもやっていられない仕事である。
作業には5年が要されている。大村の本職はサラリーマンで、休日を作業にあて、朝から晩まで図書館に籠もっていたという。さらに恐るべきことに、本書の作業は、発表のあてもなく、趣味で淡々とやっていたことだったそうだ。
まさに日曜研究家というか、だからそこ成し遂げられた種類の仕事だろう。これは大変な本である。