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大根仁×ISHIYA『ちょっとの雨ならがまん』上映を機に振り返った、ハードコアパンクの黎明期

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 安田潤司監督による1984年公開のドキュメンタリー映画『ちょっとの雨ならがまん』と、同監督による1994年公開の劇映画『ファー・イースト・ベイビーズ』が、デジタルリマスターと再編集を施し、8月18日より東京・新宿K’s cinemaなど全国で順次上映を開始した。去る7月12日、池袋・新文芸坐では先行上映会を開催。安田潤司監督のほか、ゲストとして大根仁監督、ハードコアパンクバンド・FORWARDのボーカルを務めるISHIYA、文筆家で即興演奏家の吉田アミらが登壇し、両作についてのトークを行った。(※メイン写真は『ちょっとの雨ならがまん』より)

左から、大根仁監督、安田潤司監督、ISHIYA

 『ちょっとの雨ならがまん』は、当時21歳だった安田潤司監督が、1970年代後半の東京ロッカーズ(当時、六本木の貸しスタジオ「S-KENスタジオ」を中心として活躍していたバンドの総称)以降、より過激な表現を求めて現れた若者たちによるジャパニーズハードコア・パンクの黎明期を捉えたドキュメンタリーだ。ハードコア四天王と呼ばれたギズム、ガーゼ、カムズ、エクスキュートや、パンクバンドのINUとFUNAを解散した後に人民オリンピックショウとして活動していた町田町蔵(現・町田康)、『狂い咲きサンダーロード』(1980年)と『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)を続けて発表しインディーズ映画界の寵児となった石井聰亙(現・石井岳龍)が出演している。1984年の初公開後、劇場やライブハウスを中心に上映され、のべ50,000人もの観客を動員したが、同年の上映終了後はビデオ化されることもなく消えたため、伝説のドキュメンタリーとも言われていた。

 大根監督とISHIYAは、学生時代に同作と出会ったという。大根監督は、「船橋西武というデパートにあったスタジオゼロというライブスペースで観て、えらいショックを受けた。この映画のことはずっと頭の片隅にあって、今でも小雨が降っていると“ちょっとの雨ならがまん”というタイトルを思いつく」と語り、ISHIYAは「ヒロさん(ガーゼ)が、インタビュアーに『何をしている時が一番幸せを感じるか』という質問をされて、『こうやって人に注目されている時』と答えているのが突き刺さった。自分と同じ気持ちを持っている人がいるんだって」と明かす。また、当時のハードコアパンクのシーンについては、両者ともに「恐ろしかった」とその印象を振り返りつつも、小遣いを工面して足繁くライブに通っていたという。ISHIYAは「当時はライブのことしか頭にないくらい、ハードコアパンクにどっぷりハマっていた。改めてこの映画を観て、当時の彼らの心の声を聞くと、それだけでホロリと来てしまう」と懐かしむ。また、大根監督は法政大学学館大ホールで行われた『東京バトルDAYS』というイベントに遊びに行った際、「チェーンソーで追いかけ回された(笑)」と、過激だったシーンの様子を伝えた。

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