友川カズキが語る、音楽とリスナーの関係「こっちも表現者だけどね、聴く方も表現者だ」

友川カズキが考える音楽とリスナーの関係

 2016年11月11日、2年10カ月ぶりとなるスタジオフルアルバム『光るクレヨン』を発売する友川カズキ氏。詩人・歌手・画家・競輪愛好家・エッセイスト・俳優・酒豪……といった多岐にわたる活動を、40年以上に渡り続けている日本を代表するアーティストである。10月20日には、長らく廃盤で入手困難だった2作品『桜の国の散る中を』『海静か、魂は病み』もキングレコードから再発された。

 私事ではあるが、筆者は中学生のころに観たテレビドラマ『3年B組金八先生』出演時の友川さんの演奏を観て今日に至ると言っても過言ではない。映画監督の故・大島渚氏は「友川カズキのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。涙があふれたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだ人の世に存在すること、それこそが友川が身をもってあがないあかしてくれたことなのだ」との言葉を残している。その友川カズキ氏に今回、音楽を始めたきっかけや作品のこと、ちあきなおみさんへの楽曲提供秘話、海外ツアーの話などをインタビューさせてもらった。(ISHIYA)

フォークやってる気持ち、サラサラ無いもん。

「光るクレヨン」レコーディング

ーー友川さんは、どうして音楽を始めたんですか?

友川:21〜2歳のころ東京の練馬の飯場にいたときに聴いた、岡林信康さんの「山谷ブルース」と「チューリップのアップリケ」が衝撃的で。それまでフォークソングっていうと、綺麗な歌しか知らないわけ。「この広い野原いっぱい」とか、そりぁもう全然興味なかったし。「今日の仕事はつらかった」ってリアルじゃない、こっちは土方だし、そのままじゃん。それが衝撃だったの。それでギターも弾けなかったから、友達からギター借りてきて、ギター1週間独習法とかの本あるじゃない、あれで練習したの。ドレミファソラシドとコード3つ覚えて。3つ覚えればもう完璧だもの。未だにその程度だよ。4つか5つしか知らないもの(笑)。あとはまわりが合わせてくれるから。まあ、一人でやるときも変わらないけどね。

ーー音楽を始めたのは、岡林さんがきっかけなんですね。

友川:そうそうそう。音楽は好きだったからね。ジャニス・ジョプリンとか好きで。外国の音楽だけ入る日本のラジオってのがあったのよ。FMかな? それでジャニスとか聴いてびっくりしちゃってさ。

ーーそういった60年代のロックを聴いていたんですか?

友川:ジャニスの姿をしっかり見たのは、東京に来てからだね。ウッドストックのジミヘンとか。あれ観て映像で狂ったわけ。世界には“最低の凄いやつ”がいるんだなって思ってさ。ジャニスには感動したよ。ジミヘンもびっくりしたしね。そっちは好きだったのよ。趣味でレコードを買ったりして。それからトム・ウェイツにいったり、ドアーズにいったり。ジム・モリソンなんて本当いいと思ったね。あとセックス・ピストルズとか。世界には凄い不良がいるんだなと。

ーーパンクも聴いていたんですね。

友川:そうだよ。結構聴いてたよ。フランク・ザッパとか、ああいう音楽とかね。ほかにもピンク・フロイドとかキング・クリムゾンとか、ああいうのも好きだったのよ。ザッパなんて、ステージで自分のうんこ食っちゃうって話だし。人間それ以下はいないよ(笑)。

ーーだからパンクに友川さん好きな人間が多いのかもしれません。

友川:だって私、フォークやってる気持ちサラサラ無いもん。誰とも付き合ってないし、ミュージシャンなんか。自分のバンドは別だよ。でも、バンドのメンバーの携帯番号も知らないよ。ほとんど誰とも付き合ってないから。今日だって競輪やって、聴いてる音楽もほとんどジャズだから。音楽ってほとんど聴かないの、普段。昨日もずっとジャズ聴きながら絵描いてた。競輪中継つけたままね(笑)。自分のCDとか全く聴かないですよ。聴く意味ないよ、自分で。聴きたきゃ自分で歌えばいいのよ。そういうことでしょ?(笑)。

ーーご自身の音楽を客観的に感じることはしないんですか。

友川:全然興味ないね。

ーーでは、どうして音楽をやっているんですか?

友川:次々つくるのはお金のためだよ。生活のためにつくってる。職業だよ。なぁ〜んだと思ってたの? 趣味で歌ってると思ってたの?(笑)。

ーーいや、趣味とは思ってないですけど。

友川 趣味であんな歌歌えないよ。疲れるんだから(笑)。ボブ・ディランが何か賞もらったでしょ。だから私は今回色々わかったのよ。私はディランに対して「プールつきの豪邸住んでて、何で歌なんか歌ってんだろ? 変なオヤジだな」と思ってたの。俺だったらとっくに歌やめるよ。「プールつきの豪邸住んだら要らないじゃん、歌なんか。他人の歌ってるくだらない曲流しとけばいいじゃん。人前出てやることないじゃん」って本当思ってたの。そしたらスタッフの誰かが「世界中に子どもがいて、その養育費のために歌ってるというウワサもあるそうですよ」って言うんだよね。そうしたらボブ・ディランが急に偉い人、立派な人に見えてきてね。一時はヤク中でずっと何年間も歌ってなかったわけじゃん。人間ってそうなるよなって思ったの。金持てば。貧乏人にはなれないよ、ヤク中も。金持ちがヤク中になるのは、なんか普通な感じする。何かに酔いたいのよ。金持ちだってね、貧乏人と同じ「さみしさ」みたいなのがあると思うんだよ。貧乏人には無いさみしさだけど。だから私ステージでもよく言うギャグのひとつは「死ぬまでに一回でいいから、金持ちの寂しさを知りたい」って(笑)。貧乏人のさみしさは満喫したから(笑)。

ーーライブには、大人のお客さんの方が多いじゃないですか。

友川:いや、最近若い人多いよ。それが、ラジオのおかげなのよ。『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)っていう番組で俺の曲をかけたり、ゲストに呼んでくれて。それからなの、若い人が来るようになったのは。

ーー岡林さんやハードロックから受けた影響は大きいですか?

友川:影響っていうかスタイルね。自分で詩を書いて歌うっていう、簡単な話よ。でもそれまでのフォークってみんな人がつくった歌を歌っていたから。外国の歌を歌ったり、カレッジフォークだったり。私は音楽をやる前から、ずっと自分で詩を書いてたから「この詩を歌えばいいんだ」みたいな手法よ。そこにびっくりしたの。ボブ・ディランについてもいろいろ調べたから影響は受けてるんだけども、そうじゃなくて日本人で、自分で詩を書いて曲をつけて歌う。その走りだよ、岡林は。そのあといっぱい出てきたけどね。他のフォークはたいして売れなかったじゃん。でも岡林は売れた。「山谷ブルース」とか。だから俺の耳にも入ったのよ。こっちは飯場にいたしさ、あんなにリアルタイムな曲はないよね。首締められた方がマシだよ(笑)、本当に。

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