吉井和哉は昭和の名曲をどう解釈したか? 世代・男女・ジャンルの境界を越えた選曲を分析

 まだ年号が昭和だった1970~80年代に、ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクによるザ・ファンクスというプロレスの兄弟タッグがいて、日本でも活躍した。その入場テーマ曲が、クリエイションのインストゥルメンタル「SPINNING TOE HOLD」だった。『ヨシー・ファンクJr.~此レガ原点!!~』と題された吉井和哉の初カヴァー集が、同曲から始まり同曲で終わる構成になっているのは、それにひっかけた洒落である。

 吉井は、THE YELLOW MONKEY時代には由紀さおり「夜明けのスキャット」、ソロになってからも藤圭子のヴァージョンがよく知られている「夢は夜ひらく」、ちあきなおみ「朝日楼(朝日のあたる家)」をカヴァーしてきたし、昭和歌謡に対する愛を以前から語ってきた。『ヨシー・ファンクJr.』は、その愛を全面展開したものだ。

 収録曲はロックのバンド・サウンドへとアレンジされ、リズムがオリジナルよりもヘヴィになっていたりする。ピンク・レディーがコミカルな振付で踊っていた「ウォンテッド(指名手配)」のファンキーなノリや、唯一演歌から選んだ「噂の女」のリズム・ギターなどは、ロック的に重くなり、曲の表情を変えている。だが、歌のほうは元のイメージを大きく崩すことはせず、メロディを大切にしている。このカヴァー集は、3つのテーマを含んでいるように思う。世代、男女、ジャンルだ。

 収録曲のオリジナルの演者と発表年、作詞作曲者はこの原稿の後ろにまとめておいた。アルバムでとりあげられた昭和の歌謡曲やニュー・ミュージックは、1967~84年に発表されたものだ。

 このうち、沢田研二が80年にリリースしたロカビリー調のシングル「おまえがパラダイス」などは、後にロック・ヴォーカリストとなる吉井少年が、テレビなどで知って憧れたことが想像できる。だが、「真っ赤な太陽」や「噂の女」など60年代の曲は、66年生まれの吉井にとってリアルタイムで意識した曲ではないはず。まだ家にテレビが1台しかなかった時代の子どもが、親や祖父母の世代と一緒に耳にした。あるいは、自分が成長してからあらためて聴いたということだろう。

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