ボサノヴァの女王ジョイスが語る、女性音楽家としての戦い「私は自分の思想で、歌を表現したかった」
これまでにジョイスは、ボサノヴァの創始者のヴィニシウス・ヂ・モライスのツアーに同行した滞在先のローマで『都会の鳥』(1977)を録音したり、その後の数年間はニューヨークで音楽活動を行ってきたが、その度にブラジルに舞い戻ってきた。彼女にとってのプライオリティは、やはりブラジルに根を下ろすことだったのであろうか?
「もちろんリオは私の故郷であり、ブラジルは私の祖国だけれども、私にとっての本当のホームとは、私のギターと愛する夫がいる場所なの。だから、今も家にいるのよ(笑)」
今回のツアーにも同伴するドラマーのトゥチ・モレーノとは今年で一緒になってから37年、結婚13年目になるという。トゥチから受けた音楽的な影響も大きかったはず。
「彼と私の音楽は常に影響し合っていて、もう切り離せないものなの。彼と出会った時、彼はすでにカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルのセッションドラマーとして有名だった。でも、まだ発展途中だった私たちが出会えたのは運命的だったわ。ブラジルでは私たちを「ジョイスとトゥチのサウンド」と呼ぶ人も多いのよ。私のギターと彼のドラムがあって、初めて私たちの音楽が完成するの」
ツアーは大好きというジョイスだが、現在、関わっているプロジェクトでは、音楽を学ぶ環境にないファヴェーラ(※ブラジルのスラム街)の子供たちを対象に、音楽やアニメーション制作を教えて回っているそうだ。テレビカメラで子どもたちをドキュメントして、その作品を上映してくれる学校を巡っているのだという。
「順風満帆とはいえないけれど、1人でも多くの子どもが音楽に興味をもってくれたらいいな、と思ってね。私の音楽がどこかで誰かの助けになれたら最高よね。だから、生涯現役でいるつもりよ。音楽はいつも私の中にあるの」
最後に、ジョイスにとって「ボサノヴァ」とは何なのか、聞いてみた。
「私のルーツよ。私たちの世代は10代の時に素晴らしい音楽に触れることができて、とてもラッキーだったと思うの。私たちは全員、ボサノヴァに恩があるの。この世代のミュージシャンは皆、ボサノヴァに繋がっているのよ」
インタビューの後、ジョイスのライヴを観た。ステージの真正面にいた私にジョイスは、これでもか! と視線を投げかけてくる。その度にどきどきしながら、彼女を見つめ続けた。
ライヴのジョイスは凄い! もともとハイ・トーン・ヴォイスがトレードマークのジョイスだが、より深い低音が出せるようになった今、彼女の声はまさに絶好調だ。
ジョイスのライヴをまだ見たことがないという方は、ぜひ自分の耳で確かめてほしいと思う。ワールドカップ以外のブラジルの夏を、ぜひとも体験してもらいたい。
(取材・文=落合真理)