「鼻から牛乳」令和篇から大阪・関西万博ソングまで 嘉門タツオが語る、笑いの裏に隠された本音と哲学

嘉門タツオ、笑いの裏に隠された本音と哲学

 オリジナルアルバムは約6年8カ月ぶり、そしてメジャーレーベルからのリリースはなんと28年ぶり。嘉門タツオのニューアルバム『至福の楽園~歌と笑いのパラダイス~』は、長い年月のあいだにライブで練り上げたネタを厳選し、令和の時代に放つ渾身の一撃だ。「鼻から牛乳~令和篇~(アルバムバージョン)」や「ハンバーガーショップ~カフェチーノ篇~」、「小市民~昭和篇~」、「なごり寿司(さびマシマシ)~なごり雪~」などのシリーズ最新作に加え、「大阪・関西万博エキスポ~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~」など、タイムリーな新曲も満載の全16曲。

 リアルサウンドでは、アルバムリリースを記念して嘉門タツオにインタビュー。珠玉の歌ネタはいかにして生まれたのか、そしてその原点にある嘉門の“哲学”とは? 笑いの裏に隠された本音の数々に耳を傾けよう。(宮本英夫)

「70代、80代にどう歌っていくか?」――意思表示ができたアルバムに

嘉門タツオ『至福の楽園~歌と笑いのパラダイス』インタビュー(撮影=加古伸弥)

――ニューアルバム『至福の楽園~歌と笑いのパラダイス〜』、聴かせていただきました。常に進化しているのが素晴らしいと思います。

嘉門タツオ(以下、嘉門):なるほど。「進化」というのはわかりやすいですね。たしかに。

――「鼻から牛乳」をはじめ、時代とともにバージョンがどんどん進化していく。バージョンアップと言いますか。

嘉門:アップデート、ですかね。

――そうですね、アップデート。聴き慣れた曲も、歌詞が変わっているとか、いろんな年代の方が入り込みやすい作品になっているとすごく思います。新曲の入ったアルバムは、久しぶりなんですよね。

嘉門:アルバムは6年8カ月ぶりで、メジャーからは28年ぶりです。ビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)で『替え唄メドレー』(1991年)の時代から担当していただいていた方が、去年3月のライブで「鼻から牛乳」のニューバージョンを聴いた時に、「あれは面白いですね」と。アルバムに収録されているものほど完成度は高くなく、もうちょっとゆるい感じだったんですけど、それをベースにいろいろやり取りして、作り出したのがきっかけですね。

――ご縁が繋がって。

嘉門:ご縁ですね。そういうことって、物事が前に進んでいく時にすごく大事なことでね。僕ももう66歳ですけども、「70代、80代にどう歌っていくか?」っていう入口に立つなかでひとつの意思表示ができたアルバムになったのではないか――ということを、今日の昼からインタビューでずっと喋っていて、今ようやく言えるようになりました(笑)。

嘉門タツオ『至福の楽園~歌と笑いのパラダイス~』視聴トレーラー

――あはは。でも本当にお元気ですね。歌も、お声も。

嘉門:人生のピークはこれからなんですよ。“沖縄の父”と呼ばれている占い師の方に、何年か前に「あなたのピークは84歳です」って言われましたから(笑)。だから、そこに向かって構築していったらええかな、って思ってます。今ですと『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)というドラマがあって、(ドラマに出てくる)葛飾北斎とか喜多川歌麿とかを調べていくと、北斎が「富嶽三十六景」を描いたのは70歳になってからなんですよ。ずっと「富士山をどうやって描くか」って考えながら、浮世絵や漫画を描いていて、70歳になってからあれを描いたっていう話で、「そうか、70歳か」と。モネも「睡蓮」を83歳で完成させているから。日本には横尾忠則さんがいますし、「すごい人、いっぱいいるやん」と思いますね。それに、3つぐらい上には桑田佳祐さんと明石家さんまさんがいて、その影響も大きいです。わりと近いところにいて、いろいろ見せていただける環境のなかで、見習いながらも「この人がやれないことをやっていこう」という意識で、ずっとやってきてますね。

所ジョージとの出会いで確立した自身のスタイル

嘉門タツオ『至福の楽園~歌と笑いのパラダイス』インタビュー(撮影=加古伸弥)

――嘉門さんのようにギターを弾いてネタを歌うスタイルは、年上にはそんなにいなかったですか。

嘉門:僕はお笑いというよりも、フォークシンガーの影響のほうが大きいですしね。あのねのねにいちばん影響されたかな。でも、お笑いを続けていくにもエネルギーがいるから。だんだんと歌作りからは離れていく活動になってしまうんですよ。笑いが介在する歌でヒットすると、それはまぐれで当たった場合が99%だから。第2弾は、ほぼ当たらないです。継続するのは難しいジャンルですね。

――そうですね、たしかに。

嘉門:最初はすごく面白かったのに、次の弾がないから弱っていく先輩たちを見て、「僕もこうなるのか」「でも、そうならないためにはどうするべきであろうか」ということも、一応考えながらやってきて。

――そうならないために、どういう手法を考えましたか。

嘉門:ひとつはやっぱり、音源に残すということですね。僕は最初から恵まれていて、1stアルバムと2ndアルバムは森雪之丞さんのプロデュースで、ミュージシャンもすごい方ばかりに演奏してもらって。で、日本コロムビアからビクターに移籍したら、今度は新田一郎さんにプロデュースしていただきましたし。『リゾート計画』(1990年)とか、「こんなすごい人がギター弾いてたんか!?」みたいな、そういうことがたくさんあるんですよ。

――音源としてのクオリティを上げるということですね。

嘉門:そうそう。今、どぶろっく、AMEMIYA、テツandトモと“歌ネタ四銃士”というパッケージングで活動したりもしているんですけども、彼らもギターを弾いて歌うし、すごいヒットフレーズもあるけど、「音源に残す」っていう意識があまりなくて、「現場をいかに盛り上げるか」だから。テツandトモなんかは現場で確固たるものがあるから、あれ以上のものを求める必要もないし、今のままで十分いいと思う。でも、僕は「いかに形に残すか?」が大事だと思っていて。

――なるほど。

嘉門:僕が29歳で『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に出ていた時、所ジョージさん、田中義剛、僕の3人のコーナーが10カ月あって、毎週いろんなもののテーマソングを作るということをしていたんですよ。バレンタインの時期だったらバレンタインをテーマに、それぞれが歌を作るんですけど、僕が熟考に熟考を重ねて必死に作ったものは、そこそこウケんねんけど、最後に所さんが適当に作ったような歌がドッカーンとウケて(笑)。「こんなゆるいのが、こんなウケるんや」と。ということは、キャラでは勝てない。雰囲気モノでは勝てないから、内容にちゃんと反復性があったりとか、そういうもので勝負しなきゃという意識が、その時に確認できたんですね。

――それは重要な転機ですね。

嘉門:所さんにはかなわんですわ、キャラでは。

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