ボサノヴァの女王ジョイスが語る、女性音楽家としての戦い「私は自分の思想で、歌を表現したかった」
ブラジル音楽界を代表するシンガーソングライターのジョイス・モレーノ。彼女はこの夏、初録音から50周年を記念するカヴァーアルバム『ハイス~私のルーツ~』と初の公式ベスト盤『ジョイスフル~ジョイス・モレーノ・ベスト』を続けてリリースした。
新作では、10代の頃によく聴いていたというドリヴァル・カイーミやアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲の初レコーディングに挑戦。彼女の代名詞でもあるリズミカルなスキャットやオリジナリティあふれるジョイス節を心ゆくまで堪能することができる。
60年代後半のMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)の草創期から活躍を続けてきたジョイス。『フェミニーナ』(1980)の成功によって一躍有名人になった彼女だが、当時はまだタブーとされていた女性問題を歌ったことでフェミニストと呼ばれ、いわれなき非難を受けることも少なくなかったという。
「私がデビューした時、女性の歌手は単なる歌い手であり、自分の思想を歌うことは許されなかった。それでも、私は自分の詩で、自分の声で、自分のコードで、自分のアレンジで、歌を表現したかったの」
ジョイスの音楽には「女性らしさ」や「母であること」が強く反映されているように感じるのだが、彼女にとって「女性らしさ」とは何なのだろう。
「男性と女性の違いはあるけれども、世の中を性別で分けるのは少し違うと思うの。人種や文化での差別もしかり。自分が黒人であるとか、日本人であるとか、根本的な違いは何もないのよ。【フェミニーナ】を書いたのは1977年のことだけど、あの曲はまさにそのことについて書いたのよ。子どもが母親に「ママ、教えて、教えて、女性になるってどういうこと?」と尋ねている。母親が「髪型や見た目のことではないのよ。あなたの中にいつもあるの」と答える。「自分自身のことは自分で見つけなさい」と歌っているの」
4人の子どもの母親でもあるジョイスだが、ジョイス自身の母親についてはあまり知られていない。以前、ジョイスは「尊敬するフェミニストは私の母」と語ったことがあるが、それは今も変わらないのだろうか?
「私がそう答えた時、母は混乱していたわ(笑)母は私を産んだ時、未婚の母でね。前の結婚で2人の男の子をもうけた後、デンマーク人の私の父と出会って恋に落ちたの。父は魅力的な男性だったらしいけれど、私が生まれる前に別れてしまった。母1人で3人もの子どもを育てなければならなかった。とても厳しい母で、学校で学んだことを逐一報告するのが日課だった。自立した女性になってもらいたかったのね。母は私に「自分の人生は自分で決めなさい」という教訓を与えてくれたの」
完全な男社会のブラジル音楽界で、バンドのリーダーとして正当な評価を受け、現時点に辿りつくまで、長い年月を要したに違いない。そんな彼女のブラジル音楽界を見つめる視点は誰よりも冷静で鋭い。
現代の音楽シーンについて聞くと「今のブラジル音楽のクオリティーはあまり高くないわね」と手厳しい。「若い世代が良い音楽に触れる機会がなくなってきている。出てくるのは使い捨てのアーティストばかりね」と表情を曇らせた。
「日本の若い人たちには、私と同世代のカエターノ・ヴェローゾ、ジョー・ロヴァーノ、ジルベルト・ジル、シコ・ブアルキ、エドゥ・ロボ、ドリ・カイーミなどを、もっと聴いてほしいわ。私たちは、ボサノヴァから受けた影響によって、ブラジル音楽を独自の方向に発展させることができた特別な世代なの」