サザン、キャンディーズ……Kan Sanoがペンタトニックスケールから解説 『Kan Sano Talks About Pop Music』第5回(前編)
ソロアーティストとして話題作をリリースする一方で、国内外の様々な作品のプロデュースや演奏にも参加してきたKan Sano。絢香、…
かつて忌野清志郎が「日本でもっとも有名なロック・ナンバーです」と紹介した「上を向いて歩こう」。無闇なポジティヴ・ソングでは決してなく、“上を向いて歩く”のは“涙”がこぼれないように、と歌った熱く切ない20世紀最高の名曲である。その優しく朗らかな歌声/一度聴いたら忘れないメロディ/言葉の威力を最大限に駆使した詞世界——すべての日本国民が熱くシンクロしたであろう。また周知の通り、このナンバーは「スキヤキ・ソング」の名で61年に全米リリースされ、ビルボード・チャートにて見事No.1を獲得。驚くべきことに、全世界で1000万枚以上ものセールスを記録した。言うまでもなく、日本人として空前の快挙であり、ドメスティックな歌モノが世界的ヒットとなることは絶後であろう。
日本が世界に誇る坂本九。58年、アメリカン・ポップス楽団、ダニー飯田とパラダイスキングにヴォーカリストとして加入。「悲しき60才」や「ステキなタイミング」などヒットを放った。その後、ソロ歌手に転向。中村八大や永六輔、青島幸男ら当時の気鋭作家陣のバックアップのもと、先述の「上を向いて歩こう」を始め、不滅の名曲「夢で遭いましょう」、リヴァイバル・ヒットでお馴染みの「明日があるさ」などなど、日本人の心/脳裏の染み込むナンバーを次々に生み出していった。——85年、日航機墜落事故に遭遇、永眠。
ソロアーティストとして話題作をリリースする一方で、国内外の様々な作品のプロデュースや演奏にも参加してきたKan Sano。絢香、…
BEYOOOOONDS 清野桃々姫によるプレイリスト連載「ひめぷれ」。ブログで毎回目覚まし音として洋邦問わず様々な楽曲を紹介する…
今年8月、円堂都司昭著『戦後サブカル年代記 日本人が愛した「終末」と「再生」』(青土社)が出版された。同書で円堂氏は、文学…