日航機墜落事故は明石家さんまにどんな影響を与えたのか? 坂本九との“知られざる運命”

12月14日19時より放送される『誰も知らない明石家さんま』(日本テレビ系)第11弾のスペシャルドラマ『さんまと坂本九 2人の国民的スター 知られざる運命』。日本のお茶の間を笑いで照らし続けてきた2人の国民的スターの人生を、1985年の日航機墜落事故を軸に描き出す作品だ。若き日の明石家さんまを山田裕貴、坂本九を山本耕史が演じ、40年前の1日が2人の運命と今の笑いにどうつながっているのかを描き出していく。
ドラマが始まるのは1979年の京都。落語の師匠・笑福亭松之助に言われるがまま弓道場に顔を出したさんまの前に現れるのが、すでに大スターとして君臨していた坂本だ。さんまは幼い頃からの大ファン。「『スター千一夜』に出たい」と、憧れの本人に直訴する姿は、いまや“お笑い怪獣”と呼ばれる男にも若手芸人の時代があったことを思い出させる。

一方で、いつも柔らかな笑顔を絶やさない坂本にも、誰にも見せない葛藤がある。1943年、疎開のために乗った汽車が大事故を起こし、多くの命が失われたなかで、自分と母親の乗った車両だけが無事だった。その経験から「いつでも笑顔でいよう」と心に決めたことが、“九ちゃん”の原点として語られる。和やかさの奥に潜む生き残ってしまった者の重さを、山本耕史が静かな目の演技で体現していた。
その後、1980年の『スター千一夜』(フジテレビ系)で、ついにさんまは坂本と夢の共演を果たす。1981年には『さんまのサタデーナイトショー』(テレ東系)がスタートし、地方の売れっ子から全国区のスターへと一気に駆け上がっていくさんま。だが、その裏側で、本人は心身ともにすり減っていく。番組の降板や舞台のボイコット、朝ドラの撮影現場で醤油だるに落ちて「このまま死んだことにしてくれへんか」と漏らすシーンなど、ギャグのようでいて、笑えない切実さがにじむ描写が続く。ダンボールに隠れた記者に追いかけられるシーンは、いかにもさんまらしい笑い飛ばしとして描かれる一方で、「どれだけ追い詰められていたのか」を視聴者に想像させるブラックユーモアとしても機能していた。

転機となるのが、1985年8月5日の『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)。元恋人の発言が週刊誌に掲載され、世間がざわつくなかでも、さんまはいつも通りのテンションで喋り倒す。とにかくドラマでの山田は、しゃべり方や間だけでなく、目線の泳ぎ方や肩の抜け具合まで“さんまっぽい”。「いやん、明日はゆっくり休ませて!」と叫ぶ瞬間の表情には、笑いと悲鳴が同居していた。ラジオブースでの山田の芝居は、まさに憑依という言葉がふさわしい。息継ぎのタイミング、相づち、わざとらしいほどの大笑いのどこを切り取っても、そこには若き日の明石家さんまが存在していた。




















