『対岸の家事』『続・続・最後から二番目の恋』 民放ドラマが描く多様化する家族のあり方

『対岸の家事〜これが、私の生きる道!〜』(TBS系/以下、対岸の家事)が大きな反響を呼んでいる。
本作は、「自分は2つのことを同時にできない」という理由から専業主婦の道を選んだ主人公の詩穂(多部未華子)が、立場や価値観が異なる“対岸にいる人たち”と交流を深めていく物語。子供や仕事の有無に限らず、あらゆる生き方を肯定してくれる作品だが、その前提として現代社会に存在する対立も臆せず描いているところは特筆すべきポイントだ。

働くママ・礼子(江口のりこ)は専業主婦の詩穂を陰で「時流に乗り遅れた絶滅危惧種」と揶揄する。育休中の官僚パパ・中谷(ディーン・フジオカ)は少子高齢化や低成長に伴う社会保障制度のひっ迫を前提に「専業主婦は贅沢」と非難し、詩穂の夫・虎朗(一ノ瀬ワタル)が店長を務める居酒屋の若いバイトの女性も「男の人に甘えてる感じがする」と専業主婦への偏見を隠さない。

もちろん、そこには羨望や嫉妬、その他の複雑な感情が含まれているのだが「今や世間の専業主婦に対する風当たりはこんなにも強いものなのか」と驚かされた人が多いのではないだろうか。
『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)でも専業主婦として生きてきた典子(飯島直子)が、社会の中で感じている肩身の狭さを吐露する場面があった。昔から存在する「働く独身女性」と「専業主婦」の対立を挙げ、これまでは最終的に子供がいる専業主婦の方が幸せという風潮があったという典子。ところが、最近は女性も「黙っちゃいないぞ」という雰囲気があり、その中では自分だけ闘っていないような気持ちになるというのだ。
女性の生き方は先人たちが闘ってきてくれたおかげで実に多様になった。「女性は結婚し、子供を産み育てることだけが幸せ」「女性は結婚したら家庭に入り、大黒柱の夫を支えるもの」といった考え方は廃れ、女性も社会で活躍できるようになり、結婚・出産後もキャリアを手放さなくてもいいような仕組みも少しずつ整いつつある。けれど、その結果、旧来は主流で、今も選択肢の一つとして認められるべきであるはずの専業主婦が肩身の狭い思いをさせられているというのはなんて皮肉なことだろう。

一方で、典子とは対照的な千明(小泉今日子)のように、かつては最先端だった「働く独身女性」も今ではもはや珍しくない。それどころか、一周回って“古臭い”生き方になりつつあるのかと思わされたのが、『対岸の家事』第6話だ。同回では、礼子が会社で行われる講演会の登壇者に、営業部時代の憧れの先輩で、社内で初めて女性管理職になった陽子(片岡礼子)を推薦する。しかし、部長は独身で子供がいない陽子を「ワークはあってもライフはない」とし、「出世するためには結婚も出産も諦めなくてはいけない」という誤ったメッセージを与えかねないという理由で却下するのだ。

共働き世帯が7割を超える現代では、礼子のように仕事と育児を両立させている女性が “ロールモデル”とされる。だが、そうやって持て囃すわりに、子供のことで仕事を早退したら同僚から白い目で見られたり、夫が家事や育児に参加してくれなかったりと、まだまだ壁があるのが現状。サブタイトルにもあるように「これが、私の生きる道!」と胸を張って言えたらいいが、どの道を選んでも間違っているような気にさせる今の社会を本作はリアリティを持って映し出している。
ドラマは社会を映す鏡だ。女性だけではなく男性の描き方も変わってきており、『対岸の家事』の中谷は妻に言われたからではなく、自ら進んで育休を取得している。実際に2023年度の男性の育休取得率は30.1%を達成しており(※厚生労働省調べ)、筆者の周りでも夫が育休を取り、出産後早々に仕事復帰する女性が増えてきた。一方で、女性の育休取得率と比べると依然として低い状況にあり、やはりキャリアの停滞や遅れを気にする男性も多いのだろう。そのあたりの障壁も今後、ドラマで描かれるのではないだろうか。

前クールに放送された『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系/以下、日本一の最低男)では、保育士として働きながら2人の子供を育てるシングルファザーの正助(志尊淳)が「仕事をしながら子どもを育てるって、誰かが無理したり我慢したりしないと成立しないんです」と仕事と育児の両立について溢す場面があった。これもまた一昔前のドラマなら見られなかった光景だ。