三谷幸喜×岡田惠和×野木亜紀子が“継承”した日本ドラマ 秋ドラマ3作品の脚本を考える

秋ドラマ“大御所”脚本家3作品を考える

 2025年秋クールのドラマも、いよいよ終盤に差しかかっているが、今クールは三谷幸喜、岡田惠和、野木亜紀子といった作家性の強い人気脚本家のドラマが出揃った。

三谷幸喜脚本『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』

『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』©︎フジテレビ

 三谷幸喜脚本の『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(フジテレビ系/以下、『もしがく』)は、三谷にとっては25年ぶりとなる民放GP(ゴールデンプライム)帯での連続ドラマ。

 舞台は1984年の渋谷で、横暴な振る舞いゆえに劇団を追放された演出家・久部三成(菅田将暉)が、経営危機のストリップ劇場を立て直すために、シェイクスピア劇をおこなう物語となっている。菅田将暉、神木隆之介、二階堂ふみ、浜辺美波といった豪華キャストと渋谷の繁華街の巨大オープンセットが放送前から話題になっていた本作だが、シェイクスピア演劇が題材というとっつきにくさと、大勢の登場人物の紹介で終わってしまったため、初回は困惑した。だが、各登場人物が劇場に集まり、演劇の舞台裏を描くようになると、三谷が得意とする群像劇としての面白さが際立つようになり、毎回どうなるかと楽しく観ている。

 『もしがく』を観ていて思い出すのは、1982年に放送された市川森一脚本の連続ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS系)だ。

『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』©︎フジテレビ

 『淋しいのはお前だけじゃない』は、サラ金の取り立て屋の沼田(西田敏行)が、借金返済に苦しむ人々と旅芸人一座を旗揚げして借金返済を計る中で大衆演劇の世界にハマっていくドラマで、「一本刀土俵入り」や「瞼の母」といった大衆演劇が物語に絡む展開となっている。

 おそらく、『淋しいのはお前だけじゃない』の大衆演劇をシェイクスピア劇に置き換えたのが『もしがく』なのだろう。三谷は度々、市川森一の影響を公言しているが『もしがく』には『淋しいのはお前だけじゃない』や『傷だらけの天使』(日本テレビ系)といった市川森一作品の影響が強くうかがえる。

岡田惠和脚本『小さい頃は、神様がいて』

『小さい頃は、神様がいて』©フジテレビ

 対して、山田太一の代表作で、テレビドラマのクラシックとなっている1977年の『岸辺のアルバム』(TBS系)からの影響を感じるのが、岡田惠和脚本の『小さい頃は、神様がいて』(フジテレビ系)だ。

 本作は、レトロマンションで暮らす、とある家族の物語。小倉渉(北村有起哉)は、以前、妻のあん(仲間由紀恵)から娘のゆず(近藤華)が20歳になったら離婚したいと言われていた。その話は立ち消えになったと渉は思っていたが、ゆずの20歳の誕生日が迫る中であんは改めて離婚したいという話を渉に持ち掛ける。

 『岸辺のアルバム』が当時画期的だったのは、表面上は幸せに見える戦後の核家族が実はバラバラだということを暴き、家族が崩壊していく様子を多摩川で起きた水害事故と重ねて描いたアンチホームドラマだったからだ。

 岡田惠和は山田太一からの影響を公言している脚本家だが『小さい頃は、神様がいて』の第1話で台風の影響でレトロマンションの住人が一堂に会してお互いのことを語りだした時に、これは岡田版『岸辺のアルバム』になると確信した。

『小さい頃は、神様がいて』©フジテレビ

 実際、劇中では離婚の話をきっかけに家族が解体していく様子が描かれるのだが、渉たち小倉家の家族は母親のあんの新たな門出を祝おうとしており、離婚によって家族がバラバラになり役割を終えることをポジティブなものとして読み替えようとしている。それが本作の新しさだ。

 三谷幸喜も岡田惠和も、かつて自分が影響を受けたドラマ脚本家の代表作の本歌取りをする形で、新しいドラマを紡ごうとしている。是枝裕和監督も、1979~80年にNHKで放送された向田邦子脚本の連続ドラマ『阿修羅のごとく』をNetflixで1月にリメイクしたが、今年はベテランクリエイターが、自身が影響を受けたレジェンド脚本家の意思を引き継ぐような作品を手掛けているのが印象深かった。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる