『ペリリュー』は戦争アニメの新たな金字塔に 『プライベート・ライアン』級の衝撃が再び

『ペリリュー』は戦争アニメの新たな金字塔に

「ペリリュー島の戦い」を描く戦争アニメの新たな金字塔

 スクリーンいっぱいに広がった紺碧の海の中央に小さく、平坦な島が見える。ちょうど数字の「4」を横に寝かせたような形をした白く細い滑走路を囲むようにして、島の大半は鬱蒼とした森林に覆われているのが、上空から俯瞰した画面からもよく窺える。

 映画のタイトル通り、いかにも南洋の楽園といった景観の、パラオ諸島の中核をなすこのペリリュー島を舞台にしたのが、戦後80年となる2025年の掉尾を飾るアニメーション映画『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』(2025年)である。文字通り「終戦80年記念作品」と銘打つ本作は、武田一義による同名のマンガ作品を原作とし、太平洋戦争末期の1944年に日本軍守備隊とアメリカ軍の間で行われたいわゆる「ペリリュー島の戦い」に材を仰ぎ、主に主人公・田丸均一等兵(声:板垣李光人)と、その友人の吉敷佳助上等兵(声:中村倫也)の2人を軸に、過酷な地上戦と生き残った兵士たちの終戦後約2年にわたる潜伏、そして米軍への投降にいたる顛末を描いている。キャラクターたちが、まるで日常系の4コママンガのようなかわいい絵柄で描かれながら、その反面、史実に基づいた地獄絵図のような凄惨な戦闘シーンが続く、そのギャップが印象的な作品である。

 このコラムでは、近年の戦争アニメの特徴を踏まえながら、戦後80年に作られた本作の意義と、21世紀の現在に通じる要素について考えてみたい。

 ところで、アニメにはない原作マンガの冒頭には、21世紀の現在、ペリリュー島に立った物語の語り手が、「ここに祖父がいた」と語るシーンがある。本作を観ながら私が思い浮かべていたのも、自分の祖父のことだった。

 私事で恐縮ながら、父方の祖父は、田舎に帰省すると、ごくたまにだったが、幼い私に自分の従軍経験を語った。祖父は戦時中家族とともに渡っていた台湾で、1942年、臨時召集され台湾歩兵第二連隊の一員として従軍した。1944年4月にはフィリピンのルソン島沖にあるバタン島に派遣され、そこで分隊長として守備任務とゲリラ掃討作戦に当たった。結局、その島で敗戦を迎え武装解除された祖父は、ルソン島での抑留生活を経て1946年に復員した。時には、バタン島沖の島嶼にいた味方の日本軍を殺したフィリピンのゲリラ兵を捕縛して全員銃殺したというような壮絶なエピソードも言葉少なに――祖父はいつも「これは自分が体験したことのほんの一部でしかないのだ」と繰り返し言っていた――子どもの私に明かしてくれたが、本作の田丸たちの姿はそんな当時の祖父と、私の中でオーヴァーラップするものだった。

「『この世界の片隅に』以後」としてのメタ表現の意味

 『ペリリュー』を現代の戦争アニメの系譜の中に位置づけてみよう。

 まず本作は、ほぼ戦後70年の節目に作られた片渕須直監督『この世界の片隅に』(2016年)を重要な画期とする、ここ10年ほどの戦争アニメに見られる特徴をはっきりと共有していると言える。

 私の祖父は従軍前、台南の国民学校で訓導をやっていたが、本作の主人公である田丸一等兵は、マンガ家志望の青年という設定である。映画のオープニング、田丸の描く絵が画面に登場し、それが物語世界と重ねられる。その後の作中でも、彼の描くマンガが繰り返し画面に登場する。しかもその絵柄は、本作のキャラクター描写のテイストと同じであり、とりもなおさず、『ペリリュー』は作中の現実世界(物語世界)そのものが、どこか田丸の描く架空のマンガの世界であるかのような奇妙なリアリティを醸し出している。

 絵という記号による表現である、マンガやアニメが宿す、作中の現実世界が登場人物の誰かの手による「描かれた世界」によって相対化される、以上のようなメタ(マンガ・アニメ)的な表現は、いうまでもなく、やはり幼い頃から絵を描くのが好きな女性、北條すずをヒロインとした『この世界の片隅に』で明確に確立された手法である。こうしたメタアニメ的な表現は、今年でいえば、沖縄のひめゆり学徒隊をモティーフとした『cocoon〜ある夏の少女たちより〜』(2025年)にも共通していた。同様の趣向は、『映像研には手を出すな!』(2020年)から『ルックバック』(2024年)まで、昨今のアニメ全般に見られるテイストだが、こと戦争アニメという文脈で考えた場合、これも近年の風潮で、高畑勲監督の『火垂るの墓』(1988年)のような、戦争をめぐるあまりにも生々しいリアリズム表現は、現代人、特に若い世代には忌避されがちという理由が考えられるだろう。凄絶で無情な戦争のリアルをできるだけ真摯に表現しようとするとき、むしろ記号化されたいかにもまんが・アニメ的なキャラクター造型のほうが、今日では相対的に受け入れられやすいのである。

 なおかつ、人間の死という存在論的な問題を描く際に、あえて高度に記号化された絵(図像)で表現するという本作の趣向は、これもおそらく意図せずして、マンガやアニメといったメディアの持つ特性を浮き彫りにしていると見ることもできる。もとより、戦場の緊迫した状況の中でも従軍手帳に好きなマンガの絵を描く田丸の姿は、実際に、勤労動員中に遭遇した空襲のさなかでもマンガを描き続けたという少年時代の手塚治虫のエピソードを髣髴とさせるところがある。

 よく知られるように、評論家の大塚英志は、その手塚が戦時中の少年時代に描いた習作マンガ『勝利の日まで』(1945年)を例に出しながら、戦後まんが――大塚は「まんが」と表記する――の表現上の達成を、「複製可能な記号=絵を用いていかに固有の死=傷つき死ぬ身体を描くか」という「倫理的」な問題に見出し、それを近代文学の描く自然主義リアリズムとは異なるものとして「まんが・アニメ的リアリズム」と命名した(『キャラクター小説の作り方』などを参照)。それでいうと、温かみのある三頭身の優しい絵柄のキャラクターたちが、頭の半分が吹き飛び、手足が千切れ、黒焦げの焼死体になり、血飛沫を散らす『ペリリュー』の世界は、その意味で大塚のいうまんが・アニメ的リアリズムを愚直なまでに表現しようとしている。

 本作はいわば戦争物語を通じてアニメーション表現自体が持つ倫理性をも示そうとしているかのようだ。それは、作中に日本最初の長編アニメーション映画とも言われる国策プロパガンダ作品である瀬尾光世監督『桃太郎の海鷲』(1943年)のポスターが登場することからも窺われる。大塚は、まんがやアニメなどの戦後日本のおたく文化の起源を、こうした戦時下のアニメーション独特の表現(兵器リアリズム)に見ていたのだから。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる