『ひらやすみ』岡山天音のヒロトはなぜ“いい”のか 悩める現代人を救った最高の実写化に

「20話では短い」「ヒロトたちの変わらない日常をずっと観ていたい」ーー。そう思った視聴者は少なくないのではないだろうか。『ひらやすみ』(NHK総合)が12月4日に最終回をむかえる。
昨今、「日常系」のドラマが人気を呼んでいる。本作のほかにも記憶に新しいところでは『作りたい女と食べたい女』(2022・2024年/NHK総合)、『団地のふたり』(2024年/NHK BS)、『しあわせは食べて寝て待て』(2025年/NHK総合)などがある。物語の導入は波瀾万丈だったとはいえ、朝ドラ『ばけばけ』(NHK総合)第8週以降の「女中編」もそれにあたる。先日制作発表された2027年度の朝ドラ『巡るスワン』(NHK総合)も日常をフィーチャーした作品となりそうだ。
こうした現象を見ると、「みんな疲れてるんだな」と思う。どこを見渡してもギスギスしている世の中、多くの人がドラマを観てほっこりしたり、心のストレッチをしたいんだなと感じる。かくいう筆者もそうである。

そんな数ある「日常系ドラマ」の中でも、真造圭伍による同名漫画原作をドラマ化した『ひらやすみ』は、ことさら「何も起こらない」。
主人公のヒロト(岡山天音)は、道端に生えている苔の弾力を確かめたり、エスカレーターを歩かないことで「忙しすぎる現代社会に対する抗議」を行ったり、阿佐ヶ谷駅を中心に気になる飲み屋をマップ上で繋いだら現れた星形の頂点を辿る探検を楽しむ29歳(第11回で30歳を迎える)。そんなヒロトと、阿佐ヶ谷の平屋で共に暮らす美大生のいとこ・なつみ(森七菜)をはじめ、ヒロトを取り巻く人たちをめぐるささやかな日常の物語だ。
阿佐ヶ谷という地域設定が絶妙に効いている。高円寺在住で、阿佐ヶ谷をしばしば散歩するという原作者・真造圭伍による「よく知る人が描く阿佐ヶ谷の良さ」が随所に散りばめられている。筆者もかつて高円寺に16年ほど住んだことがあり、隣駅の阿佐ヶ谷については多少なりとも知っているつもりだが、『ひらやすみ』という物語の舞台にふさわしい街は全国どこを探しても阿佐ヶ谷よりほかにないと思うのだ。
高円寺が醸し出す「ダルゆるさ」「カオス」「奔放」といった雰囲気とは対照的に、適度に秩序が保たれ、お行儀が良いうえに「来るもの拒まず」の鷹揚な街、阿佐ヶ谷。やわらかでゆったりとした時間が流れる街、阿佐ヶ谷。まさに『ひらやすみ』という物語と、主人公・ヒロトのキャラクターにぴったりの街なのである。
漫画作品を実写化する際、「原作の世界観や美点を壊さずに作品化できるのか」という難しさがある反面、絶対に映像でしか表現できないことがいくつかある。そのひとつが「生きた街の風景」だ。ドラマ『ひらやすみ』は映像ならではのアドバンテージを活かして、阿佐ヶ谷のゆったり、ほっこりした空気感を余すところなく伝えている。

ヒロトはバイト先である釣り堀のお客さんやご近所さんから、犬の散歩や店前の掃除などの頼まれごとをする。そして、そもそもの「ことの起こり」である、「ヒロトの人柄を見込んだ」という理由だけで、血縁でもないはなえ(根岸季衣)が譲ってくれた平屋。今どきの東京で、そんなことがあるだろうか。しかしヒロトなら、そして阿佐ヶ谷ならあり得るかもしれない。そう思わせてくれるものがある。
「映像でしか表現できない」ことの最たるものが、人物の細やかな表情の動きと間、そして声の表現だ。原作漫画を読んだことのある視聴者なら、「ヒロトやなつみはこの台詞をどんなトーンで言うんだろう……そうきたか!」という感想を抱いた人が多いのではないだろうか。
平屋の同居人で、いとこどうしのヒロトとなつみ。この、いっさい「男女」を思わせない、それでいて本当の兄妹とも少し違う距離感を、岡山と森がごく自然に表現している。ふたりの関係性を表すのに大いに貢献しているのが、声のトーンだ。
第17回の、ふたりで鍋をつつくシーンに感服してしまった。第1回でヒロトとなつみの平屋暮らしがスタートした頃にはまだなかった「あうんの呼吸」が感じられたのだ。それはヒロトとなつみの関係性の変化であり、岡山と森の二人芝居の熟成でもあるのだろう。『ひらやすみ』は間違いなく両俳優の現時点での代表作と言える。

原作漫画の『ひらやすみ』はナレーションとモノローグ(人物の心の声)が比較的多い作品だが、ドラマ版ではナレーションをできるだけ凝縮し、モノローグはほぼカットしている。そのかわりに演者の表情、間、声のトーンが雄弁に物語るシーンがたくさんある。
たとえば第4回、歩道橋のシーン。新しい環境に馴染めず鬱屈した日々を送っていたなつみは、ヒロトから「ここの歩道橋、眺めいいよ」と教えてもらうが、はじめはブスッとした顔で何も感じていない様子。
ところが、美大に入って初めてあかり(光嶌なづな)という友達ができて、同じ歩道橋からの景色を見渡したとき、なつみの顔は輝いている。スキップしながら平屋に帰り、玄関で発した「ただいまー」のトーンからも、なつみの人生に光が差し始めたことが伝わる。
歩道橋のシーン、原作では「昨日は何も感じなかった景色が、今日はーーちょっぴりキラキラして見えたのでした」というナレーションが入っている。ドラマではナレーションがなく、聞こえるのは、けやきの木々を揺らす風の音と、車の往来の音だけ。ひたすらなつみの表情だけで見せているが、その面差しと佇まいが、原作のコマの中に書かれていた文言を見事に物語っていた。
日常の物語だからこそ、人物の実在感と心の動きに説得力を持たせなくてはならない。本作はこの点にとことんこだわっている。俳優、芸能界という「勝ち負け」が全ての世界から降りたヒロトは、いつも穏やかで、夕飯の献立以外に悩みがないという。ヒロトとは対照的な人物たちを周りに配し、ときにヒロトに対する「ツッコミ」や「真っ当なリアクション」をさせることで、この作品を「妖精のような男性が主人公のファンタジー」で終わらせない。
18、19歳の若者らしく、自意識が強めのなつみは「ねえヒロ兄ってさ、なんか悩みないの?」と尋ねる。ヒロトが「ないな」と答えると、「そんな人いんの?」と呆れながら言う。

不動産会社のエースで、毎日仕事に忙殺されているよもぎ(吉岡里帆)は、釣り堀で出会ったヒロトに「気楽そうな顔しやがって。忙しく働いてる私がバカみたい」という感想を持つ。自分がひどく落ち込んでいるときにニコニコ楽しそうにしているヒロトを目にして、「みんながみんな、あなたみたいに生きられると思わないでよ!」と強い口調で言ってしまう。
平屋を譲ってくれたはなえは、年頃のヒロトが就職や結婚など「次の段階の幸せ」を考えなくてよいのかと心配していたが、ヒロトは幸せについてあまり考えたことがないという。それはヒロトが「足るを知る」を実践しているからだろう。人と比べることをせず、今、目の前にあることに感謝する。そんなヒロトを見たはなえは、しみじみと「いいね。やっぱいいよ、ヒロト」と言う。おそらくテレビの前の視聴者も同じ気持ちだろう。そしてこれが『ひらやすみ』の魅力の根源と言えるのかもしれない。




















