『対岸の家事』に『めおと日和』も 2025年春ドラマ、高評価作の共通点は“家事”の描き方

2025年春ドラマ、良作の共通点は“家事”

 ドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』(TBS系)は、『わたし、定時で帰ります。』の著者・朱野帰子の小説『対岸の家事』(講談社)を原作に、専業主婦の主人公・詩穂(多部未華子)の視点を通して、ライフスタイルが多様化したことにより、悩みも苦労も千差万別でなかなか分かり合えない、現代の家庭が持つそれぞれの「家事」事情を描いた作品だ。

 専業主婦の詩穂、働く二児の母・礼子(江口のりこ)、育休中のエリート官僚・中谷(ディーン・フジオカ)といった、それぞれの「自分で選んだ道」を突き進む人々が、時にぶつかりながら、困った時は互いに「肩を貸し合う」関係を築いていく姿が面白い。

 「誰かがやらなければいけない仕事」である「家事」。もしくは一人暮らしの場合「生きていく上で避けては通れないこと」でもある「家事」。本稿では、『対岸の家事』、『波うららかに、めおと日和』(フジテレビ系)、『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)という3作品を通して、私たちの身体と心にとって必要不可欠な「家事」について、考えてみようと思う。

“社会派ドラマ”の『対岸の家事』

『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』©TBS

 『対岸の家事』が描くのは、家庭における「仕事としての家事」とどう向き合うかだ。「私は不器用だから、仕事と家事、2つのことを同時にできない」から「家族との時間を選んだ」詩穂は、度々自分に向けられる「共働きが主流の時代に専業主婦なんて」という周囲の目に触れるたび困惑する。

 片や共働き世帯の礼子は、家事に非協力的な夫・量平(川西賢志郎)への不満を日々募らせ、会社でも家事と仕事の両立の大変さを痛感する日々である。時代が決めた「ロールモデル」に縛られず、自分らしいライフスタイルをそれぞれに作っていけばいいはずなのに、なぜ人は他人の生き方を否定したり、「こうあるべき」生き方を押し付けようとしたりするのかという問いを、それぞれが潜在的に持つ「持つ者・持たざる者」の呪いとして紐解いている。

『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』©TBS

 でも、どんなに満たされているように見えている人でも、それぞれに悩みがあり、本当は孤独だ。そんな思いを「本当に降っているのかどうかは確かめられない、海の上に降る雨」になぞらえ、アジサイのように各々の「雨」にそっと寄り添う詩穂の姿を描いた本作は、彼女の生業である「家事」を中心に、現代社会全体を見つめる社会派ドラマである。

生活の描写の根底に「対等さ」がある『波うららかに、めおと日和』

『波うららかに、めおと日和』©フジテレビ

 一方、昭和11年の新婚夫婦の日々を描く『波うららかに、めおと日和』はどうだろう。西香はちによる同名コミック(講談社)を原作に、『リコカツ』(TBS系)の泉澤陽子が脚本を手掛ける作品だ。「当時はお見合いや親の決めた人との結婚が一般的」な昭和初期が舞台ゆえ、なつ美(芳根京子)にとって夫・瀧昌(本田響矢)は「これからおつかえする」「旦那さま」であり、彼女にとって「炊事場のことは私がするべき」仕事である。

 令和ドラマ『対岸の家事』において「絶滅危惧種」とまで言われる専業主婦が主流の時代、まさに現代の価値観とは対極の立ち位置にある本作であるにも関わらず、多くの視聴者が、主人公夫婦のかわいらしい一挙手一投足を心ときめかせて見守らずにいられないことには理由がある。それは、夫婦の生活の描写の根底に「対等さ」があるからではないだろうか。最もそれを象徴しているのは夫婦の食卓の風景から始まるオープニングの映像である。

『波うららかに、めおと日和』©フジテレビ

 食器の後片付けはなつ美が、ちゃぶ台を運ぶのは一緒に、座布団を運ぶ瀧昌、箒で掃き掃除をするのはなつ美と、互いに補い合い、協力し合う夫婦の姿を体現している。また、第1話における「炊事場のことは私がするべき」にも関わらず必要な食器も調理器具も用意していなかったと焦るなつ美に対し、彼女に運びやすい食器を渡し、運ぶ作業を分担する瀧昌の場面も印象的だ。さらに、「だんな様」ではなく互いに名前を呼び合うことになることで、よりその対等さが際立って見える。このように瀧昌・なつ美夫婦と「家事」の光景は、「役割」に囚われず、互いを尊重し思いやる気持ちの大切さを教えてくれる。

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