下川恭平が『国宝』『ばけばけ』で“正反対”の人物を演じた意味 怪談が改めて重要なテーマに

「この寂しさがええですよね。文明だ西洋だと、いまの時代から取り残された悲しさや切なさがあって」
朝ドラことNHK連続テレビ小説『ばけばけ』はトキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)の物語である。そのことは二人が仲睦まじく映っているタイトルバックが示している。
目下、トキはヘブンに雇われた女中に過ぎず、ヘブンは海の向こうのイライザ(シャーロット・ケイト・フォックス)に想いを寄せているようだ。それでも確実にトキとヘブンの物語であることを、第10週「トオリ、スガリ。」は明確にする。
冒頭にあげた「この寂しさがええですよね。文明だ西洋だと、いまの時代から取り残された悲しさや切なさがあって」というトキのセリフ。これがトキとヘブンを繋いでいる。

トキとヘブンの共通する心が、リヨ(北香那)と小谷(下川恭平)によって照らし出されていく。第9週では県知事の娘リヨがヘブンに積極的にコミットしてきてトキをモヤモヤさせ、第10週ではヘブンの生徒・小谷がトキに恋をする。
リヨは西洋文明に憧れを抱き、英語を流暢に話す。小谷は松江をこれからよくしていくために英語を学んでいる。2人そろって西洋文明に傾いている人物だ。リヨはおそらくヘブンに自分とは違う価値への憧れがあるだろう。小谷はトキの顔が好き。まずは見た目からはじまって、トキの好きなものを知ろうと努めた結果、彼女の好きな「怪談」が彼の目指す西洋化と乖離しているため、はじめてのデートで「ごめんなさい」とトキから離れていく。
「寂しさ」の象徴である怪談が、松江の発展のために西洋文化を学んでいる小谷にとっては非科学的で許容できない。トキが信じている言い伝えーー清光院で謡曲「松風」を朗々と謡い、それを謡うと無念のまま死んだ松風の幽霊が出るーーを迷信であると実証してみせた。
日本の伝統芸能の謡曲を巧みに謡える教養を持った(松野家と同格の武士の家系)うえで、日本の怪談を否定する。小谷は着々と先を見て進んでいく者なのだ。トキをはじめてここに連れてきた傳(堤真一)や、結婚相手としてランデブーに来た銀二郎(寛一郎)のようにここに寂しさという価値を見出す者たちとは違っている。
トキも傳も銀二郎ももしかしたら本当に出るとは思ってないのかもしれない。でも信じたいのではないか。いや、怪談を通して、過去、悲しい気持ちで亡くなっていった人たちの記憶を持ち続けたいーー弔い続けたいという想いがそこにはあるのではないだろうか。

謡曲が見事だった小谷を演じた下川恭平は、22年ぶりに実写邦画興収ナンバーワンに躍り出た『国宝』に重要な役で出演していた。誰であろう、吉沢亮演じる主人公・喜久雄(少年期:黒川想矢)の幼なじみで一緒に歌舞伎をやっていた徳次だ。歌舞伎のシーンが見事で、『ばけばけ』の口跡のいい謡曲シーンに徳次を重ねた人もいたようだ。
徳次は原作小説『国宝』では極めて重要な役として最後まで関わってくるが、残念ながら映画では序盤にインパクトを残し、その後は登場しない。このことによって映画を少しだけ惜しいものに感じる原作原理主義者もいるのは事実である。もちろん映画の作り手も彼の重要性はわかっていて、終盤に徳次の存在を示唆する工夫が施されている。
言ってみれば、小谷を演じた下川恭平が『国宝』で演じた徳次こそ、『ばけばけ』で描かれる怪談の登場人物のようなものであろう。自分の人生を確かに生きてきた人物ながら、様々な事情で消されてしまう人がいる。物理的に命を消されてしまう人もいれば、存在がなかったことにされる、隠される、ぼかされる人がいる。その人の声が、その人の行ったことが誰にも知られないままに消えていくことは世界の長い歴史のなかでどれだけあることだろう。仕方ないといえば仕方ないことだ。でもやっぱり哀しい。
そんな存在を残すものこそ、物語であり、怪談もそのひとつなのだ。



















