柄本明の登場が『日本一の最低男』にもたらしたもの 蛭田直美脚本回は愛の“ホームドラマ”に

2月20日に放送された『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系)第7話。選挙のために亡き妹の家族を利用するという一平(香取慎吾)の“最低男”という前提はすっかりと崩れ、ドラマ初期のセリフを拝借すれば「ホームドラマを演じる」のではなく、まぎれもなくホームドラマとなりつつあるこのドラマ。そのホームドラマとしての成分は、やはり第4話と第6話、そして今回と、蛭田直美の脚本回でとことん発揮されている(対して政池洋佑の脚本回は、家の外側の社会を描く物語が中心。その点で棲み分けされているのだろう)。
ある夜、大森家に群馬の老人ホームに入っているはずの一平の父・平蔵(柄本明)が帰ってくる。かつては町工場を切り盛りしていた平蔵に、反抗しっぱなしだった一平。20年近くも会っていなかった二人だが、顔を見るなり親子喧嘩を繰り広げる始末。
一方、正助(志尊淳)は陽菜(向里祐香)と結婚してからも一度も平蔵に会えておらず、ひまり(増田梨沙)も朝陽(千葉惣二朗)も初対面。そんななか、正助は平蔵の枕元でノートに走り書きされた遺書のようなものを見つけてしまう。それについて訊いても頑なな平蔵は、陽菜と生前に約束したという「ふれあい冬祭り」が終わったら出ていくと言うのだが、その祭りはすでに廃止されていた。

平蔵の余命がいくばくもないと思い、「ふれあい冬祭り」を復活させようと考える一平。しかしそれは勘違いであったとすぐにわかる(躊躇しながら選挙に利用しようとする一平よりも、それを“物語”として消費しようとする真壁の最低っぷりが際立つようになってきたのは興味深い)。比較的ユーモラスな方向にあるこのドラマのテイストを考えれば納得の展開ではあるが、そうした誰かの死によって感動を引き出すのではなく、すでに亡き家族との思い出、生前に交わした約束と、遺された家族の再生に焦点を置き直すことで、また異なる感動的なストーリーを見出す点はさすがである。

その点でとにかく光ったのは、終盤での正助と平蔵の控え室でのやりとりである。一緒に暮らしませんかと義父である平蔵に提案する正助に対し、それを固辞する平蔵は、陽菜の死に向き合うことが怖かったと葬式に来なかった理由を明かし、自分で自分のことを“最低”だと形容する。そして「いつかお義父さんのことも僕が見送りますから」と言う正助に「順番狂ったらお前の親父として見送ってやる」と返す平蔵。序盤に正助の口から語られた彼の両親の話は、保育士になった理由だけでなくこちらにもつながる。しかも前回、血のつながらないひまりに「パパ」と呼ばれるようになった正助が、こうして血のつながらない“父親”を得る。このタイミングで平蔵が登場したことは、一平よりも正助のためだったのではないかと思えるほどだ。