冨永愛が俳優業で発揮する“カリスマ性” 『日本一の最低男』から『べらぼう』まで

人はひとりでは生きていけない。そんな当たり前のことを映画やドラマなどといった誰かの人生が描かれている作品に触れるたびに思うのだが、放送中の『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系/以下、『日本一の最低男』)はまさにそんな作品だ。香取慎吾が演じる主人公に対し、さまざまな立場にある者たちが影響を与えることで物語が展開している。そのうちのひとりが今永都。演じているのは冨永愛である。
本作は、人生の崖っぷちに立たされた“日本一の最低男”・大森一平(香取慎吾)が、義弟の家族と生活をともにするうち、やがて社会を変えようと奮闘していくことになる新しいホームドラマだ。
シングルファザーである義弟の小原正助(志尊淳)は、保育士としての仕事と家事・育児の両立に限界を感じ、一平を頼ることになった。しかし、一平は“日本一の最低男”である。不祥事を起こしてテレビ局を追われた彼は、政治家になって社会的に再起してみせようと、イメージアップのために小原一家を利用しているのだ。改めて、最低である。

けれども物語が折り返しのタームに入ったいま、いったいどれくらいの視聴者が一平のことを「最低」だと思っているだろうか(無許可で子どもたちの写真をSNSにアップするのは完全にアウトだ!)。その古い価値観によって周囲に迷惑をかけたり傷つけたりすることはあるが、他者の助言で変わることができる。そしてそれを大きなアクションに移すことができる人物だ。そんないまの彼に欠かせないのが、冨永が演じる今永都の存在である。
この今永都とは、一平の中学・高校時代の後輩で、ひとりでイタリアンカフェを経営している人物だ。ジェンダーを問わず学生時代から人気があり、自身の店をオープンしてからもSNS上で話題になるほど。現在は一平に的確なアドバイスを送る特別な存在で、彼らの家事・育児をサポートする、非常に頼りになる人物なのだ。

冨永の演技は淡々としていながらも人間の体温が感じられる自然体なものであり、この『日本一の最低男』の世界観に柔軟に溶け込んでいる。今永都が中心となるシーンがあれば冨永のパフォーマンスも前に出るが、基本的に香取らの脇に収まり、各エピソードごとに描かれるテーマに寄り添うスタンスを取っているように感じる。その姿がひとりの俳優として好ましく、冨永も今永都と同様に、本作にとって非常に頼もしい存在なのだ。