『マエストロ:その音楽と愛と』は何を表現した? ブラッドリー・クーパーが鳴らす警鐘

『マエストロ:その音楽と愛と』の表現を解説

 俳優として高い評価を受けながら、『アリー/ スター誕生』(2018年)で監督としても大きな成功を収めることとなった、ブラッドリー・クーパー。再び監督作品として長編第2作に選んだのは、アメリカを代表する作曲家であり指揮者だった、レナード・バーンスタインと、そのパートナーであり俳優のフェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインの人生だ。

 これまでの伝記映画ならば、どれだけレナード・バーンスタインが恵まれた才能を発揮したのか、そしてフェリシアがどれだけの良妻賢母ぶりで偉大な仕事を支えたのかということが、感動的に描かれたのかもしれない。しかし本作『マエストロ:その音楽と愛と』は、現在の社会にフィットした表現によって、むしろネガティブな部分にこそフォーカスしていく内容となった。ここではそんな本作が、偉大な指揮者の人生を描くことを通して、何を表現したのかを考えていきたい。

 レナード・バーンスタインを演じるのは、監督でもあるブラッドリー・クーパーだ。彼は、この役を演じるにあたって、本人の顔に似せる特殊メイクを用いている。その試みに対して、大きな付け鼻を装着することはユダヤ系への歴史的な偏見に基づいていると批判される向きもあったが、クーパーはそういった差別的意図はなかったと説明し、バーンスタインの遺族もそれを擁護するコメントを発表している。(※)

 レナード・バーンスタインのパートナーになるフェリシアを演じるのは、キャリー・マリガン。近年は『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年)や『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(2022年)など、「#MeToo運動」にかかわる映画での活躍が目立つが、本作は、そんな彼女が出演する意味が理解できる内容となっている。

 『アリー/ スター誕生』において、ブラッドリー・クーパー監督は、音楽業界に生きるカップルがたどる光と影の道を描いていた。本作では男女の立場が逆転し、陰の側にまわる女性の感情にフォーカスしていくのだ。もちろん、これはあくまで映画作品として事実を基に想像された感情ではある。

 次第に気持ちが通わなくなっていく、作中のバーンスタイン夫妻。だが、そうなっていく二人にも幸福な出会いや、心から愛情を交わしていた時期があった。本作では、そんな夢のような時間をモノクロームで描き、その後の時代をカラー映像で表現する。

 もう一つ、演出面で印象的なのは、場面がシームレスに転換して見えるような表現だ。レナードが自宅のベッドから寝起きのガウン姿のまま部屋を出ると、すぐそこはカーネギーホールの廊下で、指揮台を見下ろす3階席に一瞬で到達してしまう。もちろん、現実にはこんなことはあり得ない。このような演出をおこなうことで、本作が精神的な世界を描いていることが理解できるのである。

 バーンスタイン夫妻の不仲の原因は、何よりレナードが若い相手と不適切な関係を持ったところにある。劇中では、バイセクシャルとして結婚前から男性と交際している描写も用意されている。彼の性的指向自体は尊重されるべきだが、それと不倫とは分けて考えなければならないだろう。むしろ、世間が同性愛に対して理解がなかったという状況を、ここでのレナードは狡猾に利用しているようにすら感じられる。

 レナードの妹シャーリー(サラ・シルヴァーマン)が、男性との関係を公然と続ける兄を擁護するように、性的な奔放さが芸術や芸能、クリエイターや役者の創造性と関連するということが、日本でも古来よりささやかれてきた。しかし、本当にそうなのかということが、とくに「#MeToo運動」が活発化した近年問題になっている。また、芸を極めていく技術が特殊であることに便乗して、上の立場の者が指導の一環を装って加害をする行為の卑怯さにも光が当てられるようにもなってきている。

 不倫をしたり、「英雄色を好む」と表現されるような振る舞いがなくとも、優れた芸術に到達する人物は、もちろん少なくない。本作は、レナード・バーンスタインが、そのような古い価値観のなかで周囲の人々を傷つけていく姿を描くことによって、この問題に切り込んでいるといえよう。

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