『マエストロ:その音楽と愛と』は何を表現した? ブラッドリー・クーパーが鳴らす警鐘

『マエストロ:その音楽と愛と』の表現を解説

 先んじて公開されたトッド・フィールド監督、ケイト・ブランシェット主演の『TAR/ター』もまた、世界的な指揮者を主人公に設定した、鮮烈な映画作品だった。ブランシェット演じる、有名オーケストラ指揮者が、思わぬ出来事によって転落していく様子を、見事に緊張感がみなぎった演出と演技とともに追っていくという内容だった。

 そこでも描かれていたのが、傲慢な人物が人間一人ひとりの感情を軽視するという態度である。『セッション』(2014年)でも同様だが、指揮者という立場は、集団を「支配」するという意味で、ある種特権的な存在だといえる。だからこそ映画のなかで、このように人権や人間の感情を踏みにじる役割にされることが多いのかもしれない。

 本作で、レナードが作曲した有名なミュージカル『オン・ザ・タウン』、『ウエスト・サイド物語』の楽曲が紹介されるように、彼に類稀な才能があったことは、誰にも否定できないだろう。しかしその一方で、彼ほどには著名ではない配偶者や娘(マヤ・ホーク)、オーケストラの人々は、人間としての価値が彼よりも劣るかといえば、もちろんそんなことはないだろう。なぜなら、人を判断する尺度は無数にあるからだ。

 その点においては、病におかされたフェリシアが娘を抱きしめながら、涙ながらに「人間に最も大事なのは、人を細やかに思いやる優しさ」だと語りかけるシーンが印象的だ。全ての人が著名になり大きな仕事を成し遂げられるわけではないが、たとえ多くの人に尊敬される人物にならなかったとしても、誰かに愛を与えることで、その誰かにとってかけがえのない存在になることができる。

 本作のレナードが、そのことに気づき始めるのは、フェリシアの看病をするようになってからである。フェリシアは、レナードが思っていたよりも、はるかにレナードにとって重要な存在となっていたのだ。皮肉なことに、フェリシアの愛が深いゆえにレナードは余計に苦しめられるのである。彼女の死後、彼は寂しさとともに、自分が彼女を傷つけた悔恨の念のなかで生きていくことになる。

 本作は、レナード・バーンスタインという、著名で才能に恵まれた、稀有な人物が後悔に至るまでの人生を描くことにより、 人間の多面性や価値の多様性を表現する作品となった。そして人を本当に愛することで、その人の内面に変化を与えることができるかもしれないという希望をも暗示している。だが、多くの人が地位や富、名誉を欲し、生活を成り立たせるために忙しい日々を送るなかで、そのことを見逃しがちであるという警鐘が、ここで鳴らされていると感じるのである。

参照

※ https://www.vogue.co.jp/article/bradley-cooper-defends-himself-from-maestro-prosthetic-nose-backlash

■配信・公開情報
『マエストロ:その音楽と愛と』
一部劇場にて公開中
Netflixにて独占配信中
監督・脚本:ブラッドリー・クーパー
プロデューサー:スティーヴン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシ
出演:ブラッドリー・クーパー、キャリー・マリガン、マット・ボマー、マヤ・ホーク

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