『葬送のフリーレン』の物語になぜ共感? コロナ禍を感じる“思い出”の鋭い描写

『葬送のフリーレン』の物語になぜ共感?

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言とほぼ同時期、2020年4月に『週刊少年サンデー』(小学館)にて連載が始まった『葬送のフリーレン』。

 10月から放送されているTVアニメは好評を博し、深夜帯のアニメとしては異例の視聴率を記録している。

 切ない雰囲気が漂う本作がここまでの大ヒットを記録した背景には、一体どんな要因があるのだろうか。

 この記事では、“弱くて不合理”なフリーレンの姿とコロナ禍を経た私たちの心情に着目しながら、『葬送のフリーレン』が愛される理由を探る。

少ない思い出にすがって花を捜索

 アニメ第2話の後半、ヒンメルの像に彼の故郷の花を供えようとするフリーレン。絶滅したとされる蒼月草(そうげつそう)に執着するフリーレンの姿からは、ヒンメルへの強い愛情のようなものが感じられる。

 このフリーレンの行動は、コロナ禍で大切な人と会えなかった私たちがかつて感じた「思い出のもろさ」を表しているのだろう。

 普段はクールなフリーレンが蒼月草探しに固執したのは、フリーレンが「何も知らない」彼について知っている、数少ない彼の望みだったから。ヒンメルが放った「フリーレンにも蒼月草を見せてあげたい」との言葉を叶えるためだ。

 千年以上生きるエルフのフリーレンは、人間である私たち以上に、人の感情の理解や思い出の記憶が難しいのかもしれない。しかし、人間の私たちもフリーレンと同様に、大切な人のことを正確に思い出せない経験をしたことはあるはずだ。

 しばらく会っていない友人や家族の声をコロナ禍で思い出せなくなったり、先に逝ってしまった祖父母との思い出がやたらと少なかったり……。

 私たちとフリーレンが現在を生きる理由の一つである「大切な人との記憶」は、曖昧で非常に儚い。不確かなものとしてしか誰かとの思い出を保持できない点は、フリーレンに私たちが親しみを抱く大きな理由となっているのだろう。

 ちなみに、フリーレンが蒼月草を発見するきっかけとなったシードラットは、餌である植物の種を外敵に食べられないように埋め、埋めた場所を忘れるちょっとおバカな動物だ。

 しかし、恐らくはシードラットが蒼月草の種を埋めて場所を忘れたおかげで、絶滅したはずの蒼月草は塔の上で現在も咲き誇っている。

 フリーレンや私たちが大切な人との思い出が少ないことに悩む一方で、シードラットの忘れっぽさがあったからこそ、蒼月草は生き残った。

 『葬送のフリーレン』の作者やアニメの制作陣は、忘れる行為を完全な悪、とは言いたくなかったのかもしれない。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アニメシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる