『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』なぜ評価が割れた? 『SW』シリーズとの共通項
映画ファンのみならず、より幅広い層にも長年愛され続けてきた、スティーヴン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ』シリーズ。第1作『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の公開から40年以上の歳月が経ち、主演のハリソン・フォードは80歳となっている。
もはや、それ自体が伝説となっていると言ってもいいシリーズだが、その最新作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』では、残念ながらスピルバーグ監督は降板することとなった。一方ハリソン・フォードは続投し、インディ役としての健在ぶりを示している。
とはいえ、本作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』は、公開されるや、前作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年)同様に、賛否が分かれている状態だ。ここでは、なぜ評価が割れているのか、中身を検証しながら考えていきたい。
本作は、驚きのシークエンスからスタートする。なんとインディ・ジョーンズの若かりし頃の顔が合成によって再現され、破滅を迎え始めている1944年のナチスドイツと、歴史的な秘宝をめぐって一戦交えるという展開が楽しめるのである。しかし、なぜ“インディ”は若い頃の姿で活躍しなければならなかったのか。
前作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』に登場した息子ヘンリー・ジョーンズ三世(シャイア・ラブーフ)や、同様に本作でインディの後継的な役割を果たすヘレナ・ショー(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)のように、近年は大胆なアクション場面を一部肩代わりさせる存在が用意されてきている。
これはフォードの負担を減らすための措置だと考えられるが、本シリーズはあくまで『インディ・ジョーンズ』であり、多くの観客が本当に期待するのはインディ自身の活躍であるのも確かだ。この問題を解決するアイデアが、VFXを利用した過去編を長い尺をとって提出するということだったと思われるのだ。
そこから舞台は変わり、時は1969年。「インディ」ことジョーンズ博士は大学を退職する時を迎えていた。折しもニューヨークでは月面着陸した宇宙飛行士の凱旋パレードがおこなわれ、若者たちは宇宙に象徴される輝かしい未来に希望を覚え、過ぎ去った過去になど興味を持たなくなってきていることが示される。ジョーンズも考古学自体も、時代に取り残されてしまったのか。
そんなときにジョーンズを襲うのが、NASAによる月面着陸に貢献したという物理学者ユルゲン・フォラー(マッツ・ミケルセン)だ。彼の裏の顔は、ジョーンズと因縁のある元ナチス党員であり、いまだナチスの思想に共鳴する者たちを率いて、世界に影響を及ぼすほどの強大な力を持つという歴史的遺物「アンティキティラのダイヤル」を手に入れようとしていた。
そこからは例によって、秘宝を先に奪取するため、インディ・ジョーンズの各地を巡る冒険が開始される。モロッコでの三輪タクシー(トゥクトゥク)を使ったチェイス、ギリシャの海底探索などを経て、ダイヤルが眠っていると思われる洞窟へと進んでいく。
これらの冒険は、まさに『インディ・ジョーンズ』といえる趣向だろう。だが同時に、これらがこれまでのシリーズと同質のものであるかについては、疑問を覚えてしまう部分もある。なぜなら、これらは新たな冒険を描いているというよりは、シリーズの冒険を懐かしんでいるような印象が強いからである。
ここで、どうしても思い出してしまうのは、『スター・ウォーズ』の「続三部作」だ。ディズニーによるルーカスフィルム買収後に製作された、このシリーズは、『スター・ウォーズ』「旧三部作」へのノスタルジーを感じさせる雰囲気に溢れた内容であり、独自の個性や新たな試みに欠けたものに仕上がってしまっている。本作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』も、それと同じような着地をしているのではと思わせるシーンが少なくないのだ。