『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』なぜ評価が割れた? 『SW』シリーズとの共通項

『インディ・ジョーンズ』第5弾、なぜ賛否?

 『スター・ウォーズ』シリーズと『インディ・ジョーンズ』シリーズが共通しているのは、ジョージ・ルーカス監督による「新三部作」、スピルバーグ監督による『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』という、どちらも十数年ぶりに公開された作品が、ともに以前のファンから批判を多く浴びたという点だ。

 ルーカス監督やスピルバーグ監督は、このファンからの反応を、当初は意外に思ったのではないだろうか。期間が長く空いてしまったとはいえ、どちらのシリーズ、作品も、これまでと同じようなスタンスで、新しいテーマに挑んで内容を発展させたものだからだ。しかし一部のファンは、「こんなものは『スター・ウォーズ』ではない、『インディ・ジョーンズ』ではない」という反応を見せる。

 これはあたかも、ヒット曲を出したバンドのライブで、昔の曲を演奏しなかったり、アレンジを加えたことに不満をぶつけるオールドファンのようではないか。つまり、『スター・ウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』は、あまりにもファンの数を集めてしまったことも影響して、もはやイメージが固定化された“懐メロ”のような存在になっていたということだ。そもそも既存のシリーズは、新しいチャレンジの連続によって作り出されたものだからこそ評価を集めたはず。だが、ある時点からそのチャレンジをすると、今度は「らしくない」と文句を言われてしまうのである。

 それでは、そんなオールドファンの望みを叶えて、既存の演出で、昔風のものを提出するとどうなるのか。それが『スター・ウォーズ』続三部作であり、本作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』のアドベンチャー部分だということなのだ。

 本作の監督は、スピルバーグ監督と同様に、さまざまなジャンルに対応できる名匠、ジェームズ・マンゴールドである。彼は意欲的なコメディタッチのスパイアクション映画『ナイト&デイ』(2010年)を手がけているように、新味のある表現や、よりキレのある現代的な演出ができる才能を持っている。その手腕は、本作のニューヨークやモロッコでのチェイスには部分的に活かされているものの、多くの場面ではその技術を封印し、驚き顔をする俳優の表情にカメラが寄るといった、スピルバーグ風の演出まで模倣してしまう。

 もともと『インディ・ジョーンズ』シリーズは、スティーヴン・スピルバーグとジョージ・ルーカスが、かつて1910年代、20年代頃に映画館で毎週上映されていた「連続活劇」のような、ドラマ形式の冒険活劇を長編作品にまとめ、ハラハラドキドキが何度も連続するアドベンチャー映画を撮ってみたいという、映画ファンらしい思いや一種の野心から生まれた、挑戦的な企画だった。そして、それこそがシリーズの本質だったはずなのだ。

 しかし本作はそうではなく、『スター・ウォーズ』続三部作同様に、シリーズそのものを模倣して撮っているところが、これまでの作品とは決定的に異なるといえるのではないだろうか。もちろん、本作が『インディ・ジョーンズ』シリーズである以上、これまでの「らしさ」を反映させる部分は必須なのは理解できる。しかし、あまりにそのことに終始するバランスになっていることで、本作の多くのシーンに退屈さを感じてしまうのである。

 とはいっても、その不満をジェームズ・マンゴールド監督だけにぶつけるのは酷かもしれない。もはや自身が古典となってしまった『インディ・ジョーンズ』シリーズに、新たなクリエイターが異なるテイストを加えていったとしたら、それこそ批判の嵐が巻き起こりかねないからである。もしも前作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』公開当時、スピルバーグ以外が監督したと宣伝して、全く同じものを提出していたとしたら、いったいどれほどの批判を浴びていたか分からない。そう思えば、マンゴールド監督は役割を十分果たしたといえるだろう。

 一方で終盤の展開は、納得や興奮ができるものとなっている。シリーズがこれまで描いてきたファンタジックな部分がうまく脚本に組み込まれ、インディの考古学者としての夢が叶う瞬間や、現代社会からはじかれてしまった一人の人物の葛藤、そしていつでも女性とのロマンスを求めてきたインディの設定が活かされる結末などが、次々と描かれていく。ここには、『フォードvsフェラーリ』(2019年)などで人間ドラマをエモーショナルに表現してきた、マンゴールド監督の特長が発揮されているといえよう。

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

 そして、ここにさらなる重みを加えているのが、半世紀近くもインディを演じてきたハリソン・フォードの存在や歴史だということももちろんだ。この“伝説”を効果的に利用した意外な冒頭部や、美しい終盤の展開があるおかげで、本作をただ空疎な内容として斬って捨てることは難しくなっている。

 だから、本作を評価する意見も、批判する意見も、異なる角度からの正当性があるといえるのではと思えるのだ。少なくとも、難しい題材を背負いながらも、その地点までたどり着けたという意味では、『スター・ウォーズ』続三部作からの教訓が活かされていると考えられるのである。そして同時に、作り手側だけでなく観客の側も、クリエイターの新たな挑戦を評価する姿勢を身につけたり、映画作品への理解を深めていってもらいたいと感じるところだ。

■公開情報
『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』
全国公開中
監督: ジェームズ・マンゴールド
出演:ハリソン・フォード、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、アントニオ・バンデラス、ジョン・リス=デイヴィス、マッツ・ミケルセン
製作:キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル、サイモン・エマニュエル 
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス
音楽:ジョン・ウィリアムズ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原題:Indiana Jones and the Dial of Destiny
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