【追悼・高橋幸宏さん】大林宣彦監督作品で開花した“映画俳優”としての姿

 1月11日に亡くなった高橋幸宏は、類まれな映画俳優でもあった。ミュージシャンが映画に出演することは珍しくないが、意外な演技力を見せる人もいれば、その逆も当然ながら多い。

 坂本龍一のように、演技の面では拙くとも、その素人臭さを活かす映画監督と出逢えば、『戦場のメリークリスマス』(以下、『戦メリ』)が生まれ、合わせて映画音楽も担ったことで、YMO以降のキャリアに大きな変化をもたらしたことは言を俟たない。

 それで言えば、坂本龍一に大島渚監督がいたように、高橋幸宏には大林宣彦監督がいたことは案外知られていない。

 というのも、1984年に大林が監督した高橋の主演映画『四月の魚』は、完成から2年にわたってお蔵入りになっていたからだ。ようやく1986年に公開されるも、小規模公開に終わり、長らくDVD化もされなかったため、大林映画のなかでも忘れ去られた1本になっていた。しかし、これが「映画俳優・高橋幸宏」を永遠に記憶させる素晴らしく洗練された秀作なのだ。

 『四月の魚』で高橋が演じるのは、デビュー作のあと、7年にわたって新作が途切れている映画監督・根本昌平。妻の不二子(赤座美代子)はスター女優だけに、昌平は何ひとつ不自由のない生活を送り、高級食材店で買い求めた材料をもとにフランス料理作りに精を出す日々。そこへ、昌平が以前CM撮影で親しくなった南の島の酋長(丹波哲郎)が訪ねて来ることになる。しかし、島の風習を耳にした昌平は一計を案じ、妻の替え玉として新人女優を雇って歓待しようとするが……。

 同時代の日本映画とも、大林映画とも一線を画したストーリーは、1940~50年代のビリー・ワイルダー監督の作品を思わせるロマンティックコメディ。

 なぜ、こんな映画が唐突に生まれたかと言えば、1982年3月30日放送の『THE MANZAI』(フジテレビ系)に理由があった。この日は、YMOがトリオ・ザ・テクノの名義で舞台に上がり、漫才を披露した。そのなかで高橋は、小野田寛郎元少尉(1974年にフィリピンのルバング島で発見された元日本兵)が、ジャングルで豚と猪が交尾しているのを見て感激するという形態模写などを行った。

 懐から戦闘帽を取り出してネタを披露する姿を目にしたYMOファンの大林千茱萸は、洗練されたダンディズムを持ちつつ、ふざけることを厭わない高橋を、父の宣彦に推薦したところ、かねてより日本でも往年のハリウッド映画のようなロマンティックコメディをつくりたいと画策していた大林の目に止まることになった。

 かくして、「これは高橋幸宏というひとりのアーチストの、『才能』と『感性』とを、そっくり『表現』するための『言葉』として、『引用』した『映画』。それが、総て」(『4/9秒の言葉』大林宣彦 著、創拓社)と大林が定義する、高橋幸宏による高橋幸宏のための映画として『四月の魚』が生まれることになる。

 もっとも、大林親子による熱烈なオファーも、軽い顔出しならともかく、映画に主演する気はさらさらなかった高橋にとっては、困惑でしかなかったようだ。

 というのも、高橋に大林から出演交渉が行われたのは、YMOが散開した1983年。この年は坂本主演の『戦メリ』が公開され、各々のメンバーは、散ったあとの次なる開花に向けて休む間もなく突き進んでいた時期である。

 高橋も、ソロアルバムや、プロデュース曲が予定されており、そこに、翌春から撮影される『四月の魚』の主演オファーがもたらされては、困惑するのも無理はない。

 ところが、正式に断るつもりで大林と対面すると、あれよあれよという間に『四月の魚』への主演はもちろん、その後も、大林映画に数本出演することになってしまうのだから、高橋自身が述懐するように、「映像の魔術師、大林宣彦は、言葉の魔術師でもありました」(『ユリイカ 2020年9月臨時増刊号・総特集 大林宣彦』)だったのだろう。

 『四月の魚』は、坂本龍一に負けず劣らず演技的には危うい高橋にくわえて、その相手役の新人女優役には、これがデビューとなる新人を抜擢。これだけでも、かなりの冒険的なキャスティングだが、さらに南の島の酋長役には丹波哲郎を配し、全編を怪しげなカタコトで演じさせるという収拾がつかない状態へ突入する。

 しかし、こうしたお手上げのような状況になればなるほど、魔術師ぶりを発揮するのが大林宣彦。到底アンサンブルが取れないはずの面々を集めて、見事な手さばきで料理し、高橋幸宏にしか出せないキャラクターをフィルムに定着させてみせる。

 さらに、スタジオに作られた監督と女優の夫婦が暮らす豪邸のセット、天皇の西洋料理番だった渡辺誠の料理監修と明治屋協賛による豪華絢爛な本物の料理が目を楽しませてくれる。ビンボーくさい日本映画が多い時代に、こうした本物志向に顔負けしない存在感を持つのが高橋幸宏でもあったのだ。それでいて、食を扱いながら卑しさのない映画が生まれたのは、大林と高橋のコンビネーションが為せる技だろう。

 ところで、本作への主演で料理への知見をいっそう深めたという高橋だが、それもあって、〈食にウルサイ〉というイメージが付いたことは、本人にとっては不服だったようだ。かつて、こう語ったことがある。

「僕がいつもおいしいものばっか食べてるんじゃないかって。その“おいしいもの”っていうのが、どこどこの料理の何々じゃなきゃ食べないとか、って言われるんですけど、僕はそういうことないんですね」『土曜ソリトン サイドBリターンズ』(アスペクト)

 なお、本作で高橋は音楽監督も担当。映画の公開が伸びるなか、1985年に先行してサウンドトラックがリリースされている。

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