第97回アカデミー賞の主役は“インディペンデント映画” 激変する映画界を支える才能たち

第97回アカデミー賞を受賞結果という観点から振り返ってみると、前哨戦の結果などから想定され得る範囲のことしか起きない、概ね順当な結果であったといえよう。2024年の第77回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、そこから賞レースの主役候補として注目されるようになったショーン・ベイカーの『ANORA アノーラ』が、作品賞と監督賞、主演女優賞、脚本賞、そして編集賞の5冠を達成した。
パルムドール受賞作が作品賞を獲るのは、『マーティ』と『パラサイト 半地下の家族』につづいて史上3例目。何年か前までは三大映画祭とアカデミー賞の結果はほとんど一致しないといわれていたが、近年ではヴェネチア国際映画祭が賞レースの幕開けを告げるビッグイベントとなり、その傾向は大きく変わりつつある。とりわけパルムドール受賞作の場合は『逆転のトライアングル』と『落下の解剖学』と今回、3年連続で候補入りを果たしている。
率直にいえば、数名の映画人の審査によって決まる映画祭と、何百名という映画関係者の投票によって決まるアカデミー賞の結果は乖離して然るべきというか、乖離していてほしい、その方が各々の“色”が出ていいのだが、どこも“多様性”という一つの目標に向かうあまり、かえって多様ではなくなってしまう皮肉に陥っているように思えなくもない。とはいえヨーロッパや韓国、今回のようにアメリカのインディペンデント系の作家がカンヌで注目を浴び、北米配給が決まり、北米でも同等に高い評価を受けるという点では非常にいいことではあるのだが。

全編iPhoneで撮影した『タンジェリン』が話題を集めたベイカーは、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』という大傑作で批評家から絶賛を集めたものの、アカデミー賞では候補にあがらず。その後、さらに最高な『レッド・ロケット』を経て、今回の『ANORA アノーラ』で初候補になり、一気に頂点に立つ。筆者個人的にはとても好きな作家であり、同時に類まれなるラストシーンを撮れる作家という印象だ。そんなベイカーが、第97回アカデミー賞というショーのクライマックスを総取りし、“ラスト”である作品賞でウォルト・ディズニーの記録に並ぶ一夜で個人4つ目のオスカーを獲得する快挙を達成。とても彼らしい。
アカデミー賞やその直前にあった前哨戦の授賞式などでベイカーは、何度も繰り返しインディペンデント系の映画製作者の苦境を自らの立場として発信し、同時にコロナ禍を経て激変した映画産業のなかで、“映画館で映画を観る”ことの魅力を呼びかけてきた。2024年のオスカーを制した『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーランも、ビッグスクリーンでビッグスケールの映画を鑑賞することを伝える作り手。作品の大小は異なるとはいえ、ベイカーとノーランの根底にある映画文化への敬愛は共通している。それを踏まえれば、現在のアカデミーがアカデミー賞というものを通して世界に発信したいテーマは一貫しているのかもしれない。
さて、授賞式全体に目を向けてみると、これまでのような歌曲賞のパフォーマンスがなくなったこと以外はさほど“残念な”ポイントはない、非常に安定感のあるショーであった印象だ。『ウィキッド ふたりの魔女』という華のあるエンタメ作品がしっかりと機能し、今年1月に起きたロサンゼルスの山火事で奮闘した消防士たちへのトリビュートや、ロサンゼルスの街への愛(そのあたりは、23年前の911後の授賞式でのニューヨークトリビュートを想起させられた)。そして、どうしても地味になりやすい技術部門の発表の際には各々の候補作の出演者が登場し、候補者たちを讃える。徹底して、“裏方”に対する敬意に溢れた姿勢は評価に値する。



















